映画「しあわせのパン」評


【映画紹介】
東京を離れ洞爺湖畔にある月浦でカフェを営む夫婦を中心に、四季のなかで、東京からやってきた女性と東京に行けずにもがく若者、父親と距離を置くようになった少女、複雑な感情を抱いた老夫婦など、さまざまな客とふれあいながら、家族、夫婦、幸せのあり方を描く。監督・脚本は今回が2本目の作品となる三島由紀子。主役の水縞夫婦を演じるのは、原田知世と自身も北海道出身である大泉洋が務める。
【予告動画】

大泉洋原田知世という、僕にとってはハンバーグカレーともいえる、大好きなお二人の俳優さんの共演作、さぞかしステキな映画なのだろうと期待は大きく、その半面、予告映像を見た段階では「めがね」や「かもめ食堂」のような荻上直子さん監督の作品を印象させる感じで、嫌いじゃないけれど退屈しそうという不安も持ちつつ観に行きました。
全体の印象としては、広大な風景もあってか、伸びやかで暖かくて、それぞれの心の奥底にあった悲しみが、掘り起こされて、癒されていく。それを見つめる夫婦も、見えないけれど進歩していくという。おはなしで、原田知世さんの、いるだけでホッとするような存在感や、知世さんに合わせるように寄り添う大泉洋さん演じる水縞君。それはもう癒し度は抜群でしたよ。あぁ〜、こういう夫婦になりたい!って思える内容で。たしかに平坦で劇中で打たれる波はわりとどこにでもありそうな緩やかなものなので、スリルを求めるような人たちには物足りない映画ではありますが、なんとなく観ていて顔がほころんでしまうような作品です。大橋のぞみさんが、ナレーションをしているのですが、彼女の存在がラストに大きな意味をもっていて、その展開が想像していたのとは違い、ここはやられた!って感じでしたね。そして、そのラストでふたりに起こる出来事に、大喜びして野原を駆け回る水縞くんと、それを見つめるリオ、そこに流れる矢野顕子さんと忌野清志郎さんの「ひとつだけ」。もうね、改めてこの曲の名曲っぷりを感じましたし、このラストシーンの幸せの絶頂というのも重なって、かなり感動してしまいました。
もちろんタイトルにもあるように、パンがを中心に出てくる料理などが本当においしそうで、特にあがた森魚さん演じる阿部さんがむしゃぶりついてたコロッケとかは本当においしそうでしたね。そして、ひとつの食べ物を2人で分け合って食べることで互いに対する愛情を確かめあうのなんて、いいじゃないですか。おいしいものを分け合って食べる楽しさというものが伝わってきましたね。
 このようにラストが凄い良かったし、全体的にも好きな映画なので、あまり悪いこと言いたくないんですが、やっぱり「これはなしだなぁ!」と思ってしまった部分も、いくつかあるので話させてください。
 まず、これは現実的に考えちゃうとやっぱり気になることなんですけれど、この店やっていけてるの?って感じがするんですよね。たとえば、食堂かたつむりに関しては1日1組しかお客さんを入れませんみたいな妙な設定があって、それじゃあいくら自分のやりかたとはいえ生計立てられないでしょみたいな気持ちになるんですよね。それに比べるとこの作品は、わりとしっかりしています。たとえば、阿部さんとか郵便屋さんのような常連客がいて、小学校にパンを届けてるとか、多少“生活”を考えたつくりになっているんですが、それにしても、野菜を買ったりとか、パンの材料買ったりとかするには、ちょっと暮らしていくには不安な要素があるんですよね。常連さん以外のお客さんが何人かいたりすればいいのに、そういった様子もない。いいことがあったら小銭を貯金するみたいな夫婦のやりとりがあるんですけれど、肝心のお客さんからお金をもらっているような描写はないんですよね。メニューや並んだパンにも値段とか書いてないし、秋のシーンで父と娘を招待してるけれど、あれは無償でやってるの?とか考えてしまいました。そもそも、なんで水縞君があの広大な土地や家を所有しているのかも気になりますしね。
 そして、この作品の主軸として「月とマーニ」という絵本が存在していて、小さいころからこの絵本を読んでいたのに、大人になって都会育ちのりえはその“たいへん”がイヤになる、そして絵本のなかの月と同様に、自分にとってのマーニのような存在の相手を探しているという話なんですが、まず冒頭で語られる“たいへん”というのが具体的じゃないから全然共感できないんですよね。どんな仕事をやっていて、どんな風にたいへんなのかをきちんと描いてほしかったです。そのあと、夏のシーンで東京から女の子がやってくるんですけれど、その子も「都会はたいへん」みたいなこと言うんですけれど、まぁ彼女はデパートの店員という設定があるから、なんとなく大変な感じは想像つくんですけれどね。あれだと、なんか大人の社会の現実から逃避したい人にしか見えない気がします。
 水縞君も奥さんには秘密にしているどうしても欲しいものがひとつだけあるらしいんですよ。おそらく、これは主題歌のひとつだけに掛けてると思うのですが、で一連の出来事が終わって、最後に二人きりになったときに、ある告白をりえさんがするんですが、そのシーンはポカーンって感じでしたね。「えぇっ!?あんた今まで一緒にいて気がつかなかったの!?ていうか、なんで夫婦になったの!?」そして水縞くんに対しても「お前、欲しかったの、それ!?もう持ってるようなもんじゃん!」って感じがしちゃったんですよね。まぁ、月裏という環境に惹かれて、水縞くんについていって、とりあえず夫婦になったけれど、まだ真の夫婦になれずにいたという感じだったんですかね。だからリオさんはダンナのことを水縞くんと呼ぶのかな?っていう演出だと思えば納得してしまうのですが。
絵本といえば、登場人物たちが、絵本や漫画の人物たちみたいなキャラ作りなのも気になりました。もしかしたら監督は、わざとそういうキャラクターにしているのかもしれないのですが、個人的には物凄い違和感がありました。たとえば、阿部さんという常連客も、「やあ」って挨拶したりとか、バスに向かって「お〜い、待ってくれ〜」とかね。郵便局員も「いやぁ〜、奥さん本当にキレイですねぇ〜」というのをしつこいくらい言うんですよ。夏のシーンに出てくる時生くんという人物もやたらと、「〜っすね」というセリフがやたら多くて、イラッとしてしまいました。あと、野菜売りの広川さんという夫婦ね、ロールプレイングゲームの武器屋さんのようにね、野菜を手に持って立ちすくんでるんですよ、さすがにこれには失笑でしたね。で、広川さん夫婦には子だくさんという設定があって、中盤で双子が生まれますが、つけた名前がスケとカクという水戸黄門からとったのでしょうけれど、テレビ文化を取り入れるのは、映画の世界観には合っていない気がしましたね。そりゃあ、テレビぐらいあるでしょうけれどね。ほかにも、余貴美子さん演じる陽子さんという、謎のガラス職人のオバさんがいるんですが、謎のおばさん演じさせたら余さんの上に立つ人いないと思いますが、この人には地獄耳というキャラクターがあって、遠くで話している人たちも何がほしいかすぐわかる人なんですよ。その要素が2回しか生かされないのは勿体なかったですかね。あの冬のシーンで、お米がないって水縞くんが猛吹雪のなか車を走らせるんだけれど、そのときに用意して待ってたら面白かったのになぁ〜。わりと普通にもらって戻ってきちゃったのは残念なところですかね。冬といえば、その泊まりにきた老夫婦の奥さんがパンが苦手だから米料理ってことになったんですけれど、ひょんなことから出てきたパンを急にむしゃぶりつき始めるんですけれど、急にがむしゃらに食べ始めるから画的には凄いこわいんですよね。大体、パンいらねぇって言ってるのに、なんで焼きたてのパンがそこに出てくるんだ?という疑問もありますしね。
あと一番疑問に思ったのが秋のシーンで、未久ちゃんという女の子とその父親を食事に招待するのですが、父親がカフェ・マーニに入ったときにいる娘に「未久!」って驚くんですけれど、お前娘のこと放っておいて一人で飯食べに来たのか!って思ってしまいました。
文句いろいろ言いましたし、賛否分かれるだろうなって感じですね。でも、なんかラストシーン一発で凄い良い映画だったなと思える作品でした。