映画「ホタルノヒカリ」評


【映画紹介】
ひらうさとる原作の漫画を日本テレビ系列で実写ドラマ化し2シーズンにわたり、話題を呼んだ『ホタルノヒカリ』を映画化。テレビドラマ版でゴールインを果たした、グータラを極めた干物女の蛍と高野部長が、新婚旅行先のイタリアで大騒動を巻き起こす。監督はこの作品が初メガホンとなる吉野洋、脚本はドラマ同様に水橋文美江。出演には、ドラマ同様、綾瀬はるか藤木直人に加え、松雪泰子手越祐也が顔をそろえた。
【予告動画】




Let’s!ゲロゲロ!ゲロゲロゲロ〜。

 すいません。いきなりお聞き苦しい文章から始めてしまいました。でも、本当に・・・キツかったです。ただ、今回いつもと違うのは、たとえば「ステキな金縛り」とかの場合、僕だけ笑ってなくても、まわりは凄いゲラゲラ笑ってる状態、つまり、普通に純粋映画を観ている人には面白いんじゃなくて、僕のまわりにいたお客さんも、全然笑ってなくて。どんどん映画の世界から後ずさりしているような、溜め息も聞こえました。映画が終わって明るくなったときの、ほとんどの観客の打ちのめされた空気は、これまでいろんな映画観てますが初めてでした。
なので、ごく少数だとは思いますが、「ホタルノヒカリ、超面白かったぁ〜!」という人は明らかに不快にさせる文章なので、すぐに出てってください!!

 まず、根本的な問題として、作品の最大の魅力が完全に削がれちゃってます。ヒロインである蛍(綾瀬はるかさん)が、会社で仕事をテキパキこなすのに、家だとガサツで、恋愛にも無関心というギャップ。そんな彼女が、恋をするなかで、起こる仕事のトラブルを解決していく様が魅力。なのに、恋愛要素は部長(藤木直人さん)との結婚で一切ない(この時点で続編つくる意味ないと思う)、ギャップをつくるために必要な、仕事の面がほぼ1シーンで、あとは蛍は、干物女として、グータラしているだけ。ドラマ観てた側からすると、この時点で面白くないでしょ!しかも、製作者サイドの「ドラマを観ていた人たちも、干物女の蛍が見たいんでしょ?バカな演技やる綾瀬はるかが観たいんでしょ?」みたいな勘違いのせいで、そっちばかりを見させられる。確かにどっちが作品の面白いところかといえば、干物女としての蛍でしょうけれど。例えるなら、「ここのハンバーグ美味しいんだよねぇ」とよく通っていたハンバーグ屋さんに行ったら「え!?サラダセット止めちゃったの?・・・いや、確かにハンバーグが美味しいとは言ったけれどさ。あれは、サラダとのバランスがちょうどいいって意味だったんだけれど・・・。・・・しかも、焼き方、雑になってね?」みたいな感じです。

 今回映画にするにあたって、ローマが舞台なんですが、二人がローマに行くきっかけというのが、心底不快で。まず、新婚旅行でローマに行こうと約束しているのに、それが果たされないことで、部長が怒ってしまう。それを蛍が上司に相談すると、ローマに奥さんと行くのは彼の夢だ言われると。すると、ある日、蛍が帰ってくると部長がイタリアに出張するために荷物をまとめている。そしたら蛍が、その前の上司の話もあって、「私も行きます!新婚旅行しましょう!」ってことで行くことになりましたっていう展開・・・。
まず、そう簡単に新婚旅行って上手くすすむの?蛍の仕事にだって穴を空けるわけだし、彼女が不在のあいだは、他の人がそれを受け持ったりするわけでしょ?いくら、蛍の勤めている会社が大企業とはいえ「明日から旦那の出張についていくので、会社休みまぁ〜す」なんて出来るか!?部長も海外出張なので、ついでに「新婚旅行を兼ねて奥さんと行ってきまぁ〜す。」なんて、絶対に他の社員から反感くらうだろ!夫婦そろって解雇だよ!出張先に遊びに行ってんじゃねぇよ!某テレビ局の元アナウンサーじゃないんだから!
だったらね、出発が一週間後という設定にして、新婚旅行で抜ける穴を、埋めるために、旅立ち前日まで蛍は何時間も残業して猛烈に仕事をするって設定にすれば、仕事ができる蛍の姿も観ることが出来たし、この「旅立ち前日まで仕事をした結果・・・」というのが後のストーリーにもつながってくるでしょうが!!もしくは、蛍も海外出張を命じられたら、二人とも同じローマでしたでいいじゃねぇか!簡単なことだよ!
 で、飛行機乗りました。ローマの休日の名所をまわりました〜ってところでやっとオープニングタイトルが出て、絵で描かれたイタリアと蛍のアニメーションが出るのですが、本物のローマの映像観たあとに、イラストのローマ出しても、しょうがないでしょ!普通、ニセモノ(イラスト)のあと本物ドーン!とかじゃねぇか?イラスト描いた人にも失礼だよ。
 映画版のゲストとして登場する、ローマで生活する莉央(松雪泰子さん)という女性と、その弟の優(手越祐也さん)の二人にも疑問が多い。
 まず、蛍と部長がビジネスクラスに乗るんだけれど、チケットが隣り合う席がとれなくて、蛍の隣には優が座ってきます。そこで蛍は「若造がビジネス乗りやがって」みたいなことを心の声でつぶやくんですが、映画観ている僕らから言わせれば「オメェもビジネス乗ってるのは不自然だからな!!」って気分なんですが、そこで優が返すんですよ「若造のくせにって思ってます?でも、お金いっぱい貯めたんですよ。」って、これはわかります。でもね、この優という青年、なんでローマに来たのかというと、ある一件で姿をくらました姉に会いに行くためなんですね。ずっと探していた姉に会いにいくのに、お金貯めてビジネス乗る必要ってある?さっさとエコノミーで行けよ!お前、本当はローマ旅行をエンジョイしたかったんじゃねぇの!?
 さらに、この弟くん、姉に対する愛情が異常で。この話は何?弟の姉に対する禁断の愛みたいな話なの?って思うくらい。でね、姉は昔、自分が落ち込んでいたときに、白玉団子を作ってくれたから、今度は僕が作ってあげたいって・・・。お前、そんなことでお姉さんが、引きずっている悲しみが立ち直るとでも思ってるわけ?という疑問もあるのですが、実際に作った白玉団子の量が異常なくらい多くて。「うん、とりあえず、弟くんは、日本に帰ったら病院に行きなさい。君のほうが、絶対に病んでるから。」あまり大きな声では言えないんですけれど、この弟くんが気持ち悪く見えてしまうのは、手越さんの演技力の問題かなぁ・・・。
 次に莉央。まず彼女がローマでホテルに住み着いているっていう設定が呑み込めなくて。先ほどからの、仕事簡単に休めます、ビジネス乗れちゃいます、ローマで仕事もせずノンビリって。今の日本とは明らかに不釣合いなバブル感。なんか・・・なんだかなぁ〜!って感じで。
 あと、莉央が弟に対してあるウソをつくんですけれど、そのウソと真実の共有し合っているところが、しっちゃかめっちゃかなんですね。まず、弟がホテルにやってきたときに、干物女(ジャージのズボンにTシャツ)の姿でいるから「こんな格好見せられない!」って、キレイな格好をして弟の前に現れます。そのあと、部長と蛍を交えた4人で食事をしているときに、部長のことを、自分のフィアンセで、蛍は家政婦ってウソをつくんですね。しかし、そのウソを弟は見破っていて、彼女が酒で眠っている隙に、全部わかってることを蛍や部長に話します。それを莉央は狸寝入りで全部聞いている。この時点で、莉央は弟に対して、部長が実はフィアンセじゃないことも、蛍が家政婦じゃないことも、普段だらしない格好をしていることも、バラしてないんです、気づかれているとはいえ。だから次の日も、部長を旦那扱いして、キレイな格好をする必要があるのに、翌日には普通に、弟の前にジャージとTシャツの格好して、しかも蛍と部長が夫婦であることを、お互い周知のように話し始めるんですよ!え?いつ、弟には種明かししたの!?弟が全部気づいてるからって、もうウソは終わりなの!?弟くんも、少しは合わせろよ!
 でね、狸寝入りのシーンもそうなんだけれど、全体的に種明かしが早すぎるんですね。「実はこういうことでしたぁ〜!」「えぇ〜・・・・・・知ってますけれど」みたいな!この問題に関して特筆すべきは、部長の誘拐ね。実は部長は誘拐されたんじゃなくて、最初に出てきたビジネスパートナーであった外国人の、ある目的を達成するために、強引に連れ出されたんですけれど、その姿をね、ばっちり顔まで写して出しちゃってるんですよ。あそこはせめて、最初はシルエットだけにして、あのシーンなんだったんだろう?と思わせて、2回目のときにネタばらしして、「あれ部長だったんかぁい!」ぐらいのツッコミを映画観ている我々にさせてくれればいいのになぁ〜。その目的のあと、部長は別のパーティーに行ってるんですけれど、あのパーティーはなに? だって、部長はその前に行ってた出張の目的が達成されれば日本に帰るはずだったのに、当たり前のようになんかの会合に行っていて! で、そこでさっきのビジネスパートナーとのあるやりとりが実践されるのかと思いきや、そういうわけでもない。なぜ、あそこに行ったのか、あんなところにいるのか、全然わからないんですよ!
 で、そこにいる部長を追いかけてきた蛍、そこまでの行程とかやりたい放題なんですけれど、車置きっぱなしにするとか、ウェディングドレスメチャメチャにするとか・・・まぁ、いいや。で、現れた蛍に対して、そこにいる観衆から野次が飛ぶんですけれど、そこでイタリア語でなんかゴニョゴニョ喋って、日本語で「理想の妻です」で抱き合う。・・・・・・ポッカーン。頭が真っ白になるってこういうことなのかなぁ?って思っちゃいました。
 あと、二人が泊まったホテルの従業員の描き方も変で。まず、いくら住み着いている人だからって、「今度、ここに違う人たち来るから、お前、違う部屋行け!」という対応をするのも問題ですが、そのときに部屋に置き忘れた、莉央が大事にしていた、スナックの箱に入っていた写真があるんですけれど、それを掃除のタイミングでポイッとゴミ袋に捨てちゃうんですね。いやいや、いくら見た目ゴミだからって直ぐに捨てないだろ!しかもその箱には写真だけじゃなくて、蛍が麻薬と勘違いして、隠した白玉粉も入っていて、重みがあるんだからさ!
 でね、この写真がまぁ間一髪ゴミ収集車から、逃れましたと、でも写真が池に散乱してしまった。それで莉央は「もういいよ!」と吹っ切れるんですが、それを諦められない蛍は部長と一緒に、雨の中拾いに行きます。で、様子を見に行くと・・・、蛍が池の中に入って、拾ったものを部長が並べている・・・・・・ってポジション逆だろぉ〜!

 まぁ、いろんな珍騒動が終わって家に戻ったラスト。二人のあいだに起こる最高に幸せの出来事があるんですけれど。ただ、・・・ねぇ〜、その幸せを得るためには、そういう床でコトをする必要があるわけでしょ?この蛍と部長が、そんなことする関係には見えないんですね、申し訳ないけれど。だって蛍は家ではグータラしてるわけですから、これは「しあわせのパン」とか「神様のカルテ」にも感じたことですけれど。おしどり夫婦を描いた作品でも、そういう光景が思い浮かばない夫婦となると、この展開は少し萎えてしまいますよ、正直。
 そして、やっと終わったぁ〜と思っていたら、エンドロールでトドメを差してきましたよ。 大まかな内容を言うと、スタッフロールとドラマのスライドショーと平行して、蛍がある歌を口ずさむが、それが「映画とは関係ねぇじゃん!」みたいな部長の突っ込みがはじまって、部長と蛍の散々見させられたイチャイチャをまた聴かされるという展開。 まぁ、それはいいですよ。つまらないのは事実だし、斬新さを狙ってるようで別に斬新でもない感じとか、本編の馬鹿げた内容と比較したら、全然許せますよ。 ただ、唯一疑問に残ったのは、歌に対するツッコミ、その後の二人の喋りから考えると、この歌を口ずさんでいるのは、蛍という設定のはずなのに、最後のクレジットには「綾瀬はるか」って出るんですよ! えぇっ!?じゃあ、綾瀬はるかが、素でこんなふざけたことをやってるの?それに対して藤木直人藤木直人としてツッコンでるの!?という疑問が浮かんでしまって。 もちろん、そんなことないとはわかってますけれど、ただ、あそこはファンサービスも兼ねて、クレジットも「高野蛍」を通してほしかったなぁ〜。

 褒める点があるとすれば、2ヶ所。 まずは二ツ木夫妻の会話。これは僕がガールで板谷由夏さんのシーンに感動したせいもあるのですが、その夫である安田顕さんの顔面力全開の芝居とかね。それともうひとつ、莉央の子ども。写真でしか登場しないのですが、本当に可愛かった!目もパッチリ大きくて、ニコニコ笑ってて、だからこそ、こんな可愛い子どもを失った莉央の悲しみというのにも説得力があって、この子どもと写真の力は凄かったです。ただね、その写真にうつっている莉央がコギレイな格好してるんですよ。えっ、あそこは別に干物女の姿でもよかったんじゃないの?見た目干物女でも子育てはちゃんとやっているって写真のほうが説得力あったと思うんだけれどなぁ〜。

 今年、テンペスト、レンタネコといろんな爆弾映画観ていますが、これも爆弾でしょうな・・・。なんか、これだけの爆弾映画を観ていると今後どんなものでも対処できる自信があります

映画「ガール」評


【映画紹介】
奥田英朗による短編小説集『ガール』を1本の映画として実写映像化。大手広告代理店に務めながらも年齢による女性らしさの壁にぶち当たる由紀子、旦那より稼ぎが良いことと部下の男性に完全に舐められていることに苦戦する聖子、結婚願望を失いかけたところに一回り歳の離れた新人社員への思いに葛藤する容子、そしてシングルマザーとして人の力を借りないように子育てと仕事を両立させる孝子。それぞれ悩みをかかえた女性たちが友情を通して、女性としてたくましく生きていく姿を描いた群像劇。監督は『神様のカルテ』『洋菓子店コアンドル』の深川栄洋、脚本に2011年版『あしたのジョー』などの篠崎絵里子。4人のヒロインを香里奈麻生久美子吉瀬美智子板谷由夏が演じ、向井理上地雄輔要潤加藤ローサ、壇れい など豪華キャストがわきを固める。
【予告動画】

月曜のレイトショーなら、誰もいないだろうと観に行ったんですが、女性2,3人組のグループが5組もいて、そのなかで男ひとりは大変孤独でしたが、そんなことも、いい意味でも悪い意味でも(逆かな?)、忘れさせてくれた作品です。
 今回は「映画としてダメ」「凄い良かった」「最悪な部分」と、暴言と絶賛が交互に出ます。文章のまとめ方としては、はっきりとヘタな文章になっています。ご勘弁ください。
 まず、原作の奥田英朗さんの小説は今回の4人のエピソード+1の短編集で、それぞれの話は独立しているんです。それを1本の映画として成立させるため、4人のエピソードのヒロインたちに友情を作った構成なのですが。
 1本にしたというより、寄せ集めただけで、4人を切り離しても、小説同様に独立したものになっていて、もっと言えば4人が集まるシーンの存在意義がほぼありません
 4人のうち誰か1人が悩んでいて、3人の誰かの助言や行動にヒントをもらい、自分の行動に活用されるでもなければ、誰かが誰かのエピソードに立ち入って、物語を掻き回すわけでもない。4人の集まりが、「はい、集合〜。じゃあ状況報告して〜。」「なるほど〜、わっかりました〜。たいへんなんですね〜」「じゃあ、これからも頑張ってぇ〜、解散〜。」みたいな風にしか見えなくて、助言したと思いきや、「いや、私は!」って結局、反論して我を通すだけで。相談している感もないんですよね。
 たとえばですが、由紀子(香里奈さん)が、素人をモデルにファッションショーをやる展開があるんですけれど、その素人モデルのなかに容子(吉瀬美智子さん)の会社に勤めているOLが参加しているとか。簡単なところだと、由紀子の彼氏・蒼太(向井理さん)は、聖子(麻生久美子さん)も知ってる人なんだから、聖子と蒼太の会話シーンがあっても良かったと思います。さらに蒼太と、聖子の妻である博樹(上地雄輔さん)は、船舶の研究と、音響機器という違ったジャンルとはいえ、なにかに夢中な男性二人なんだから、この2人が会ったらマニアックな話になって、物凄い仲良くなって、それを見た女性たちが「男って本当に変わってますね〜」みたいな展開があったら、全然許せますよ!そうなんです!男はこうなんです!ごめんなっさ〜い!って気持ちよく笑顔で映画館を出られました。
 4エピソードを1本にした意味がないので、1本の映画にした点では格段に減点なんですが、エピソード1つ1つを観ると、4つのエピソード中3エピソードは、先の展開が気になるぐらい食いつきましたし、感情移入もできたんですね。1エピソードずつ評価しようと思います。


【平井孝子・・・・・・90点】


板谷由夏さん演じた平井孝子のシングルマザーのエピソードは、相当良い出来でした。子どもが逆上がりできない。教えてあげたいけれど、自分もできない。教えるために自分ができるようになる。練習してたら、同じ会社(かな?)の男性(TEAM-NACSの森崎さん)が、教えてくれる。そして、できた瞬間に子どものようにハシャいで、そのまま嬉しそうに職場に戻るシーン。そのあと、今度は子どもに教えて、またできた瞬間に喜ぶ。この2つのシーンは、流れとかまったく一緒なんですが、ちゃんと対比になっていて、凄い良かったです。
さらにそのあと、今度はキャッチボールを暗くなるまでやるんですけれど、公園の電灯も点いてないから真っ暗という状態を観ている僕らにも同じにすることで、そのあとの会話のやりとりにも説得力が増すんですよ。ここも凄い良かったです。なので、正直言ってしまえば、孝子のシーンだけ観たいっ!っていう気持ちですね。


【小坂容子・・・・・・70点】


 小坂容子のエピソードも、唯一のコメディ的展開で嫌いじゃない、むしろ好きなほうです。カッコイイ新人(林遣都さん)が入って、それを争う醜い女性たちの会話のやりとり。特に、別の部署から広報の人がやってきて新人インタビューを食事しながらゆっくりしたいって言ってきて、そこからの舌戦とかは面白かったですね。投げたら打ち返され、じゃあこういう変化球はどうだ、残念それにも対処してますよ〜みたいな。で、それを容子が一括したら、それを変に噂をしはじめる部下たち、「うわぁ〜、人間ってコワイわぁ〜!」っていうね。
 さらに、その広報の社員と新人くんが2人でいるところを目撃しちゃって、それを誇大妄想しちゃって必死に後を追うんだけれど、その妄想に対して容子が「私だってそうするもん!」って言いながら走るところとか、ここは思わず吹きました。
 そして、賛否両論あると思いますが、終盤にある展開があって、それを冷静に対処して、エレベーターに乗るんだけれど、エレベーターに乗った瞬間、大はしゃぎする。でもその声が外にも漏れていて、エレベーター外側にいる人がドン引きする展開も、彼女のパートがコメディ的と考えれば、全然アリだと思いました。あえて言うなら、容子がエレベーターではしゃぐ姿とか、外の人が引いてしまう顔とかをハッキリ見せないで、一連の流れすべてを会社の玄関口もしくはエレベーター外側からのワンショットにするべきだったかな?というのが正直な気持ちです。


【武田聖子・・・・・・20点】


 聖子の部分は、良い部分、悪い部分が2:8ぐらいの比率でした。良い部分は、今井を演じた要潤さんに尽きます。女性をナメてるっていう設定なんですけれど、男の僕の立場からしても、本当にムカつく奴でこの今井という男は、この今井のヒールっぷりを完璧に演じてみせた要潤さんは、もう絶賛します。僕たちをこんなにイライラさせてくれてありがとう!そして映画終盤にスッキリさせてくれてありがとう!って感じでした。このヒールは本当に素晴らしかった!
・・・ただね。このヒールさが程好いわけでもないんですよね。たとえば、いきなり最後のほうの話をしますと、大事な幹部が集まったプレゼンのときに、上司である聖子に、公然で恥をかかせたり、上司と女性社員のプレゼンに野次を入れたりとかしてて、これ僕が幹部だったら、「どうでもいいけれど、お前らチームとしては最っ低だな!」って言ってやりたい!今回このチームがやってるのって、会社だけでなく町の復興もかかってるようなプロジェクトなのに、こんなギスギスした部署に任せられるか!このボケ!って感じですよ。
でね、そのあと今井に「賭けをしましょう」と、聖子が言い出し、表か裏か外れたほうが会社を辞めるって言ってコイントスをします。でも、今井がオロオロしてるのに、「男と仕事がしたいなら土俵にでもあがれ!どこにでも女はいるんだ!」と打ち負かすみたいなシーンがあり、このパートの物語は終幕するんですけれど、この聖子って女、人には表か裏か選ばせて選べないからって文句言うくせに、自分は表か裏かは言わないのな!あそこは「言わないなら、私が決めるわよ!」とか言って、今井が「やめろ!」とか言ったら、そこでさっきのセリフを言えばいいだろ!一方的に賭けにのせておいて自分はのらねぇのな!泥船にタヌキが乗って「ウサギさんも乗りなよ〜」って言ったら、ウサギが「あっ、いいです。いいです。(だって、泥船だもん)」みたいな!相当卑怯な女ですよ!
だったら、これが良いとは言いませんが、僕の考えたシナリオは、幹部が集まる会議の前に、その前のプレゼンをやって、そこで打ちのめして、コイントスで「あなたが勝ったら、あなたのプロジェクトでやりなさい。私は会社を辞めます。私が勝ったら、私のプロジェクトでいきます。あなたは会社をやめなさい。」で、「女をナメるな」発言があって、今井が参りましたぁ。スイマセンでしたぁ〜。で、幹部の前でのプレゼンで一丸となってプレゼンをして、ガッツリ握手にすればよかったんじゃないかな?もしくは、今井がどうやら奥さんにも冷たい態度をとっているという伏線があるんだから、ある日聖子が旦那と買い物していたら、奥さんに非常に優しく接している今井の姿がありましたとさ。とかね。
さらに、この聖子に関しては、旦那である博樹とのやりとりも不満ばかりで。聖子が自分の実家に帰ったときに、子どもはどうするの?的な話になって、「私が妊娠したら、誰がマンション代払うんだ」って、小声でつぶやくんですけれど。そのあと、ベッドで寝ようとしたら、博樹が音響機器に夢中になってるんですけれど、そのときに「今日はそんな気分(ニャンニャンする)じゃないの?」って漏らすんですよ。お前どっちなの!?Hもしたぁ〜い、でも子ども欲しくな〜い。ってどんだけワガママだよ。そんな都合良い愛撫あるか!愛撫するときは妊娠する覚悟があるつもりでしろ!
そして、今井とのコイントスなど一連のやりとりのあと、半べそかいて帰ってきた聖子が博樹に「奥さんの方が給料高いってイヤ?」「子どもほしい?」などいろんな質問をぶつけるんですけれど。それに対するまとめの回答が「いやじゃないよ」って返しますが、「子どもほしい」に対して「イヤじゃないよ」はQ&Aが成立してないだろ!それにね、「この嫌じゃないよ。」もその前からのシーンで植えつけられた、マイペースな旦那という性格のせいで、「べっつにぃ〜、オレは気にしてましぇ〜ん」にしか聞こえないんですよ。だったら、いろいろ聖子が「奥さんのほうが給料高いって」とか「子どもほしい」とか飛ばす質問をしてるのを、断ち切るように「僕は聖子ちゃんが笑ってくれればいいよ」とか言えばよかったんじゃないでしょうか?
 中盤で、聖子が会社の愚痴を機関銃のように言いまくるのを、キスで止めるというのはよかったですけれどね。女性側が熱くなっているのをキスで止めるといえば、「SPACE BUTTLE SHIP ヤマト」のとんでもないキスシーンがありますが、あれに比べたらね、この聖子と博樹には夫婦というしっかりした愛情関係があるわけですからね。ヤマトは酷かったな〜・・・。


【滝川由紀子・・・・・・1点】


 前述したように、4エピソード中3エピソードは食いついたと言いましたが、この由紀子に関しては、食いつきもしないし、いいところがほとんどねぇっ!
まずオープニングからビックリしたんですけれど、撮影所みたいなところで、由紀子がメイクの指示とかしていて、廊下を走っていると、みんなが振り向いて由紀子に対して「かわいい〜!」とかって言うから、カリスマメイクアップアーティストなのか、若きモデル事務所の社長なのか、それとも業界では知れ渡った人なのかと思ったら、広告代理店勤務しかも、そんな偉くない?って、えっ、あのオープニングはなに?もうこの時点でモチベーションが下がってしまったのですが、他3人のエピソードでなんとか持ち直しましたよ。

このエピソードは由紀子だけじゃなくて、他の登場人物も不快で、特に光山晴美(壇れいさん)っていう女が、マジ突き飛ばしてやりたいくらいキツいし、それにデレデレしている取引先の会社の幹部(段田安則)も最悪だし、会社自体がとんでもなくブラックなんですけれど、これは後述。そこに唯一冷静な部下として、安西博子(加藤ローサさん)がいるんですが、先に言っておくと、今回のこの商談はどちらが上の立場かって考えたら、明らかに博子たちなんですよ、博子は由紀子にとって大事な顧客だし、怒らせてはいけないんです。そのルールも一切無視でした。
たとえば、博子が由紀子に初めての商談のときの服装を「そちらの会社は自由なんですね」みたいなことを言うけれど、それをイヤミと捉えるんですね。違うでしょ!どんな服装が自由な会社でも大事な取引先との商談には普通、それなりの格好でくるだろ!せめて、聖子みたいな、ちょっと派手だけれど、しっかりとスーツ着て来いよ!由紀子はそれなりの格好していたけれど、「これでも派手なのか」って思うとか、光山に関しては完全に顧客をナメてるんですよね。でね、そのあとの接待で博子と口論になって怒らせたことで、プロジェクトから由紀子は外されたんですけれど、そのあともしつこく、博子に会いに行ってて。お前外されたんじゃねぇの?どれだけ自由なのこの会社?って感じで。
それで、終盤に飛んじゃいますけれど、先述した素人モデルがどうやら数が合わないと、で、博子が憤慨しちゃうんですよ「だから、プロをやとえばよかったんだ!」そしたら光山って馬鹿女が「あなたが出ればいいじゃな〜い?」なんて。お前、ホントどの立場で言ってんだ?年齢はずっと下とはいえクライアントだぞ?とか思ってると、案の定、博子が「馬鹿言わないでください、彼女(由紀子)が出ればいいじゃないですか!」って、もうこの時点でわかりますよね。これはクライアントである博子が出した立派な指示です。下の立場の人は引き受けなければなりません。そしたらなんと、光山が得意のブリっ子で彼女の上司に媚売って、そしたら上司が「キミ、ここで君が出ないと君の責任にもなるんだよ!」的な発言して。まさかのパワーハラスメント〜〜!!!しかも、そのモデルの穴は、この上司が作ったわけですからね。最悪ですよ、このブラック会社博子さん辞めたほうがいいです。この光山の博子に対する一定の「そんな無理しないで、あなたも本当はこうなりたいんでしょ?」みたいな上から目線とか本当にムカムカでした!
そのあと、博子がメイクアップしている最中にネガティブになってしまうのを由紀子が声を荒げるんですけれど、このさぁ、声を荒げることで、相手の論を弾圧する方式。僕のなかでは「うるさぁ〜い!方式」と呼んでいるんですけれど、もうやめてくれないかな?これは映画に限らず、日常でもね。
で、いざ本番になって、博子がエスカレータの上で後ずさりしちゃうんですけれど、そこでの由紀子の「魔法を信じて」に関しては、小声で「バーカ」って言ってしまいました。でもね、絶対そうなると思いましたけれど、ここで博子が魔法にかかっちゃうんですよ。もう「アホくさ・・・」って感じで。
それでこれは、加藤ローサさんのことを悪く言ってしまうみたいでイヤなんですが、もちろんローサさんは一生懸命、地味な女性を演じていますが、メイクする前から、メイク映えする人っていうのがわかってるのが勿体ないですよね。だって、ローサさんはもともとモデルさんなんだもん!あそこはモデルのイメージがなければ、普段別に派手な役をやらない女優さんとかがやったほうがよかったと思いますよ。たとえば、谷村美月さんとか、本仮屋ユイカさんとか、もっと大げさに女芸人さんとかでもよかったですよね。モノマネタレントの福田彩乃さんとかね。あと、男女に限らず、メガネを外すと実はイケてるんです。っていうのはもう飽きたんで、止めてください。逆に僕はね、聖子(麻生久美子さん)が仕事のときはメガネを掛けているところに、悶えたぐらいです。

で、この由紀子が全体のヒロインであることで、彼女のナレーションが劇中で何回かあるんですが、そのほとんどが年を取るのを恐れた女の戯言にしか聞こえない。特に3つ、鼻につくのがあって、「男の人生はプラスだが、女の人生はマイナスだ」って随分あなた男のすべてを知っているかのような言い方しますね。男にだってマイナスなところがあるし、それが女性にとってはプラスになる部分があるの!次に、由紀子と聖子の大学の卒業生の会合のときに、母親になった同級生が、愚痴をこぼすんですが、そこで聖子が「人生の半分なんてブルー」だよ。って言うんですよ。このセリフは男性にも通用する言葉だし、凄い良い言葉だなと思っていたのに、そのあと由紀子がその言葉を応用するんですけれど、「人生の半分はピンクで、もう半分はブルーだ」って余計な一言くわえちゃって台無しにしちゃうんですよ!森進一かお前は!そして、今回の映画のテーマなのかな?「100回生まれ変わっても、100回とも女がいい」。うん、うん、なるほど。言いたいことはわかるけれど、お前まだそれ言える立場じゃないよね。そういうのっておばあさんになって人生の終りを迎えるころに言う言葉だよね。老いも知らねぇくせに、勝手なこと言ってんな!って話ですよ、まったく・・・。
 で、最終的にはそんなワガママな自分をすべて受け入れてくれた蒼太のプロポーズにも「こんなシチュエーションじゃイヤ!」とかヌカしやがって!お前、一生結婚しなくていい!最後には孤独になれ!って念じてしまいました。なんで1点かというと、「僕たちは世界を変えることができない」のときの、向井理の死んだ目がまた観られたからです。


【総合】


 由紀子と聖子に対する文章が特に長いことからわかるように、せっかくの良い部分をこの2人のエピソードが台無しにしてるって感じですかね。しかも冒頭で語ったように、1本にした意味がほとんどない。それでも孝子と容子のエピソードは面白かったし、要潤さんのヒールっぷりにも感銘しましたので、赤点はギリギリ免れたって感じでしょうか?

つくばロックフェスとトクマルシューゴと向井秀徳の話

 Goose Fresh Beatという、地味ながらも毎年音楽ファンから注目を集める夏フェスがあるのをご存知でしょうか?「GFB」といえば、ピンとくる方は多いと思います。「つくばロックフェス」といえばもっとピンとくる方が多いと思います。

 会場は僕の地元である茨城県つくば市にある「ゆかりの森」という、夏休みに小学生たちが昆虫とったり、大学生や家族連れがコテージで一泊したりする、ごく普通のキャンプ地の中心にある村の盆踊り会場のように地味な野外ステージ。

 しかし、ここに集まるアーティストのラインナップがすごいのです。たとえば昨年2011年に出演したアーティストは、東京カランコロンクリープハイプ、SEBASTIAN X、オワリカラ。昨年末から今春にかけて、メキメキと当確を表したバンドがほとんど。2010年にはまだデビューのデの字も公になっていなかった、ねごとが出演していたりする。そのなかに、MO’SOME TONEBENDERDE DE MOUSEMASS OF THE FERMENTING DREGSSuiseiNoboAz七尾旅人タテタカコなど音楽ファンには名前の浸透したアーティストが顔を揃えているのだから凄い。要は「J-ROCKシーンの先端を先に観ておきたいのなら、GFBに行け!」と言っても過言ではないのです。

 このイベント主催者は伊香賀守(いこうが・まもる)さんという方なのですが、茨城県にもっと東京の音楽を届けたいという思いで、このイベントやこれまたつくば市にある「kitchen soya」というレストランや、「つくばパークダイナー」や「水戸SONIC」という小さなライヴハウスに東京のバンドやミュージシャンを招いて音楽イベントを展開しています。

 そんな目利き(耳利きかな?)やイベントの評判もあってか、今年のGFBが現時点で12組発表されていますが、とんでもないことになっています。特筆すべきは曽我部恵一BANDKIMONOSの2組。この2組が、つくばのあの小さな隠れ家のような野外ステージでライヴをやるという画を想像するだけでワクワクするのですが、曽我部恵一BANDは今年僕は2回観ていて最後に観たのがARABAKIなのですが、驚くくらい骨太で強靭なライヴバンドになっております。KIMONOSの向井秀徳といえばZAZEN BOYSでも有名ですが、昨年このイベント初日のトリを務めたSuiseiNoboAzの1stアルバムのサウンド・プロデューサーですね。それに最近、星野源が透明少女をカバーしたりして、NUMBER GIRLの音楽が解散して10年経つ今、再評価されつつある。そのドラマー、アヒト・イナザワVOLA&THE ORIENTAL MACHINEとして出演します。

 ほかにも、COUNTDOWN JAPANにも出演したオワリカラSPECIAL OTHERStoeに続くすばらしいインストロックバンドになりつつあるrega、1stフルアルバムがCDショップ大賞にノミネートされたCzecho No Republic、昨年の個人的ベストアクトと言っても良いoono yuukiや、トクマルシューゴ属するGELLERSなど昨年に続き出演するバンドのほか、初出演組も先述したVOLAだけでなく、tricot、きのこ帝国、チーナ、The Flickersとすでに評判を呼んでいるバンドばかり。本来は県内市内の音楽好き学生にも来てもらいたいのですが、茨城の音楽イベントはROCK IN JAPANやSense of wonderだけじゃないよというのを知ってもらいたいので東京の人もぜひ足を運んでほしい。つくばエクスプレスに乗る絶好の機会でもあるので。


 さてさて、ここで抑えておきたい2名のミュージシャンがいます。向井秀徳トクマルシューゴです。この2名、やたらと接点が多いのはどちらかの熱狂的なファンの方ならご存知の方もいるでしょう。まず、2名が共演したのは、ポカリスエットのCM。砂漠の映像を背景にポカリのペットボトルがぐるぐる回るという、これまでタレント起用してきたものとは打って変わったCMなのですが、BGMで使われているのが、トクマルシューゴの「Hidamari」(アルバムEXIT収録)であり、ナレーションを務めているのが向井秀徳なのです。

 僕の記憶が正しければ、この2組が音楽という形で直接共演したのは、渋谷にあるライブハウスWWWがオープンして2日目。チャン・ギハと顔たち(韓国)、トクマルシューゴZAZEN BOYSの3組が対バンしています。確かこの日は、照明の熱でステージ袖のカーテンに引火しボヤ騒ぎになったり、ナインティナイン矢部さんの兄・美幸さんが登場し、和傘で球を回すパフォーマンス(海老一染之助・染太郎で有名なやつ)をやったりと、いろんなことが起きたライヴでした。

 あと、昨夏にお台場でおこなわれた「neutralnation」(トクマルバンドが全員でZAZENのライヴを袖で観ていた)や、四国でおこなわれたSTARS ONでも一緒になっているなど、やたらバッティングが多い2組ですが、お互いの口から名前が出るようなことはなかったのです。しかし、昨年のCOUNTDOWN JAPANで、これまた同じ日に出演した、ZAZEN BOYSトクマルシューゴ。MOON STAGEのトリを務めたトクマルはMCでこんなことを語っています。

 「本当はカウントダウンとかやりたいんですけれど・・・、僕の音楽はノリづらい曲ばかりで年越しもしづらいんですね。来年やらせてもらえたら嬉しいんですが、そのときもきっとノリづらい音楽をやると思います。・・・・・・でも、ZAZEN BOYSほどではないですけれど(会場爆笑)。」

 向井側からトクマルを意識した発言などはまだ見られないが、星野源とJAPAN JAMで共演したり、在日ファンクとZAZENの対バンでハマケンをステージに呼んだりしているので、トクマルシューゴの音楽は聴いてないわけないでしょうと勝手に決めつけおります。もし、GFBで同じ日の出演になったら、この2人が直接会話する姿を観ることができるかもしれない。

映画「ドラえもん のび太と奇跡の島〜アニマルアドベンチャー」評


【映画紹介】
藤子不二雄の漫画・ドラえもんの劇場版の通算32作目であり、第2期声優陣では3作目となるオリジナル作品。絶滅したはずの動物たちが暮らす島・ベレーガモンド島へやってきたドラえもんのび太たちはのび太とそっくりな少年ダッケやロッコロ族のコロンたちと出会い交友を深めていく。しかし、そこに黄金のカブトムシ・ゴールデンヘラクレスを求める悪役商人シャーマンが襲い掛かってくる。キャストはドラえもん水田わさびのび太大原めぐみなどおなじみのキャストに加え、野沢雅子水樹奈々田中敦子山寺宏一など豪華声優陣。さらには俳優・小栗旬や子役・鈴木福など特別出演のキャスティングにも注目が集まる。
【予告動画】

新声優(といっても変わってから随分経過していますが)になってからは、過去劇場公開されたもののリメイクとオリジナルを交互にやってきた映画ドラえもんシリーズですが、正直リメイク版は明らかに第1期のほうが良いなっていう印象が強かったんですけれど今回はオリジナル版ということで、ちょっと期待していました。とはいえ、やはり大人にも人気があるとはいえ、所詮は子ども向け扱いのドラえもんレイトショーがやってねぇ!しかも、一番最後が17時40分から!という厳しい時間帯。仕事を定時に切り上げ、急いで映画館に向かいました(木曜メンズデー料金だったので、どちらにしろ1000円でしたが)。お客さんの入りは、まぁ平日だから満席ではありませんでしたが、やはり小さいお子さんを連れて親子で着ている人たちが7〜8組いましたね。そんななか、男ひとり家族たちに囲まれ、観てまいりました。
結論としては「すっげぇ面白かった!でも!おかしいところは山ほどある!」って感じです。ここ最近細田守さんなど多くのアニメライターさんの作品にまた触れるようになったんですけれど、今回のドラえもん作品は「大人になってから見るアニメ映画ってやっぱりいいなぁ!」って思わせてくれる内容でした!正直、このあと、悪いことも書きますけれど、それらをふまえて「観てよかったぁ!」と思いました。本来なら、前に見た『逆転裁判』の感想をダラダラ書く予定でしたが、興奮冷めないうちに書かせていただきます。そして今までの映画感想のなかでも長いと思います。
今回のドラえもんは予告でもわかるようにのび太の父親であるのび助にスポットをあてていて、これまでドラえもん作品で目立つことのなかった父親の存在を描くと、それと同時にカブトムシや絶滅した動物たちを使って、生物における人間の存在というのを描いている作品で、それが目的だとするならば、もう合格点!!と言いたくなる作品です。
まず映画はじまって10分くらいが凄い好きなんだけれど、凄い切なくなってしまいました。のび太が父・のび助にカブトムシを買ってもらうんですが、まず「カブトムシは買って手に入れる時代」というのが凄い切なくて、でもそれは今の子どもたちにとっては当たり前なんですよね。シティボーイズの「真空報告官大運動会」という舞台のDVDがあって大竹まことさんのセリフにこんなものがあります。「誰かにとっては意外でも、誰かにとっては当たり前である」もう今回のテーマこれでいいんじゃねぇの?ぐらいにそういうシーンが今回多いんですよ本当に。
カブトムシを買ってもらって喜ぶのび太。するとそのときに父から見たのび太に対する本音というのが出るんですね。「お前はいつもドラえもんに頼ってばかりじゃないか」と。すると、のび太普段あまりものを言わない父親から、そんなことを言われると思わなかったからハッとするんですね。そして普段もの言わぬ人の意見って凄い貴重だから大事にしたくなるんですよね。のび太はのび助が思っている以上に「約束するよ!」って強く言うんですね。そしてそこで指切りをするんですけれど、それをまわりの人たちがニコニコと見ているんですよ。「指切りなんていつ以来やってないのかなぁ〜・・・」なんて思いに浸ってしまいました。
ここだけでも充分良いのに、そのあとですよ。空き地でジャイアンやスネオが虫ずもうをやっていて、のび太も加わるんですけれど、案の定ジャイアンの持っているカブトムシのほうがデカくて、のび太のカブトムシ(カブ太)は何回やっても負けて、スネオは「どうせ300円のスーパーで買ったやつだろ!」ってバカにするんですね。すると今度は、のび助がムキになって参加するんですけど、カブトムシはカブ太のままだから、結局負けちゃうんですよ。また、そのときカブ太を突きながら「のび太がんばれ!のび太がんばれ!」って言うのが凄くいいんですけれど。でね、そのあとのび助は「暑いから家に帰ろう。・・・・・・それに虫がかわいそうだ。」ってサラッと言うんです。つまり、これって子どものころ夢中になっていた虫ずもうというものに対して大人になってわかったことなんですよね。で、この一言のあと、ジャイアンでもスネオでもしずかちゃんでもない、ちゃんと名前もついてないようなのび太の友だち2人が、ハッとするような顔をするんですよ。「確かにそうだ。これは虫たちをいじめてることになるんだ」って気づかされるんですよ。なのに!なのにぃ〜!のび助が先に帰ったあとに、ジャイアンとスネオが「お前の父ちゃんは逃げたんだ!」とか「父ちゃんものび太そっくりだな!」とかバカにするんですよ。つまり、ジャイアンとスネオ、もしかしたらそれを止めに入った出来杉くんまでもが、大人であるのび助が言ったことを理解していないんですよ。本当に言い訳をして逃げたと思っていて、もう観ていて、「悔し〜いっ!!切ないぃ〜っ!!」ってなっちゃって。目の前で父親がバカにされるのび太もかわいそうだし、大人のメッセージを受け取ってもらえないのび助の気持ちも重なって「あぁ〜辛いよ〜〜!でも、すごいいいシーンだよ〜!」」ってもうこのオープニングだけで、この映画は観た甲斐がありました!
で、父親視点といえば、今回の作品映画を観ている父親たちにも結構な気遣いがされているんですよ。実際観に行った日の僕以外の観客のほとんどは、子どもを連れたお父さん、もしくは両親という組み合わせだったんですね。不思議と、お母さんと子どもという組み合わせは見かけなかったですね。おそらくテレビとかでやっている予告を観て「これは父親と観に行くべきだ」と判断したご家族が多かったんだと思います。で、年齢層を観ると、子どもはまあ園児かなって子が多くて、父親は30代前半ぐらいが多かったんですけれど、たぶんこれぐらいの世代ウケを狙ってるのかな?っていう描写がいくつかありました。
今回の作品、子どもの頃ののび助が、間違いで動物を保護する奇跡の島に連れて来られちゃって、わすれんぼうという道具のせいで記憶を失ってしまって、ダッケという少年になるんですけれど、このダッケが起こすアクションが言ってしまえば、ひと昔前の漫画の動きなんですよ。たとえば、身をひそめながらゆっくり四つんばいで歩く、するといつの間にか地面じゃなくて空中を歩いていて、気づいた瞬間にワァ〜!って落ちるとか、「うわぁ〜、ベタ〜。しかも古典的ぃ〜笑」みたいな。で、そのあとジャイアンとスネオと一緒に動物に追いかけまわされるんですけれど、逃げる前にまず空中で足をバタバタさせてから逃げたり、高い木に登ろうとするんですけれど、ジャイアンとスネオは普通に登るのに対して、ダッケはまるで壁走りのように木を駆け上がるんですよ。それを見てジャイアンとスネオが少し不思議な顔をするんですね。つまりこれって、ちょっと前はベタだったけれど、今は凄い懐かしい漫画やアニメの演出なんですよ。で、それにビッシリはまるのが今幼稚園ぐらいの子どもをもつ父親世代なんだと思うんですよね。さらに今回そのダッケの声を担当しているのが野沢雅子さんというのがまた良かった。つまりドラゴンボール孫悟空とか、ちょっと上の世代だと銀河鉄道999の星野鉄郎を演じていた人が、目の前のスクリーンでキャラは違えど登場してくれるという、このキャスティングは絶対大人ウケ狙っただろ!って感じですよね。つまり、大人にも退屈させない、むしろ大人こそ引き込まれるつくりがちゃんと出来てるんですよね。いやぁ〜、作り手偉いなぁと思いました。
描写といえば、今回要所要所にあらゆるものの大きさが比較されるようなつくりがあるんですよ。さきほどのオープニングでいえば、のび太ジャイアンのカブトムシもそうですし、スモールライトとビッグライトという大きさを変えられる道具もそうですが、東京タワーとスカイツリーとか細かいところ、よく探せばもっとあるかもしれませんけれど。で、そういった大小がなにを表しているのかというと、まずは今回ののび助とのび太のような親子の存在、子どもにとって親は大きくて、親からすれば子どもはいつまでも小さいくかわいい。そしてもうひとつは、大きいものの強靭さ、そして弱いものの儚さっていうのを描いている気がします。それを描いているシーンがひとつあって、動物に追い掛けまわされたジャイアンドラえもんタケコプターを足でグシャッと潰しちゃうんですけれど、それを一切気にとめないんですね。これって、人間と虫、もっと広く言えば、人間と人間以外の生物の関係に似ているんですよ。人間はあっさり虫や草花を踏みつけているけれど、それってかけがえのない生命体を確実に減らしていることだろうと。それが冒頭でのび助が言った「これ以上やったら虫がかわいそうだ。」にダメ押しで結びつくんですよね。細かいところに工夫をされているなと思いました。
そのあと、のび太やダッケたちが民族の人たちと仲良くなって、食事のあとコロンという長老の孫で民族のなかで一番おさない子がいて、その子がのび太の持っていたカブトムシを珍しがって、自分の虫と交換したがるんですけれど、のび太は父親と大切に飼うという約束があるから、それを拒むんですけれど、ダッケやコロンから見れば、頑固に譲らないやつに見えるんですよ。そして、ついにはコロンが怒鳴り泣きわめいてしまって、のび太はダッケに「お前小さい子を泣かすなんて、ひどいだろ!」って言われてしまうんですよ。ダッケは理由を知らないから仕方ないんですけれど。でもね、そのあと一方的にのび太を怒るんじゃなくて、ちゃんとコロンのことも叱るんですよ。このシーンが僕はけっこう好きでしたね。もう今の世の中のすぐに「○○派」とか賛否、敵味方の2つで極端にわけてばかりの僕らに対する、どっちにも怒っていいんだ。どっちも褒めていいんだ。だってどちらにも是非があるんだから。っていうメッセージだと思うんですよね。
個人的に好きというシーンは他にもあって、中盤でそれぞれの親に対する不満を吐露しはじめるんですが、でもそれが親だし一緒にいると楽しいんだよっていう展開になります。そこでスネオのエピソードで、小栗旬さんが声を担当した甘栗旬という俳優が家に遊びにきたという話があったあとに、のび太のお母さんとお父さんが家でテレビをみているシーンが一瞬出るんですよ。そこで甘栗旬が出ているドラマだと思うんですけれど、その内容が久しぶりに親のもとに帰ってきた子どもという設定というのが、僕みたいな親がいなくてもそれなりに自立して生活している人間には物凄い胸をうって、単純にゲスト声優をチョロっと出すんじゃなくて有効的に使っていたというのも凄い評価しています。
あと、後半スネオたちが囚われちゃってシェルターみたいなのにコロンちゃんと彼女がかわいがっているドードー鳥、そして絶滅動物を保護する博士と一緒に入っているんですけれど、そのときに「きっとドラえもんが助けに来てくれるよ」とか言うんですけれど、そのときにさり気なく「のび太はああみえて、やるときはやるやつなんだ」って言うんですね。しかも、これのなにが僕好きかって、ベタな作品だったら、ここで妙にいい音楽かけてゆっくり話させるんですけれど、今作では本当にサラリと言うんですよ。妙にいい音楽でいいこと言ってそうに言わせるより、早口でペラペラしゃべったときに出た言葉のほうがなんか本音っぽく聞こえるんですよね。で、こういう役割って今までどちらかといえばジャイアンが担っていて、スネオは本当に「帰りたいママ〜!」ばかりのやつだったんですよ。で、スネオってはっきり言って、のび太に対する冷たい扱いかたをしているという点ではジャイアンよりも上なんですよ。ジャイアンは映画でもあるように、なんだかんだでのび太を心の友扱いしているわけじゃないですか。でも、スネオはそういう態度はこれまで示さなかったんですけれど、今回はスネオが凄いかっこよかったですね。そういえば、今回スネオは「帰りたい〜!ママ〜!」って言わなかったですね。予告ではありましたけれど、いわゆるフェイク予告ってやつですね。まだ映画を見てない皆さんに言っておきます。上の予告映像はほとんどフェイクですよ!
あと思わず笑ってしまったシーンもありました。まずは今回のゲストキャラであるゴンスケドラえもんをパワーハンドみたいなので乱暴にタイムマシンに乗せるんですけれど、そのあとのパワーハンドの圧力でド若干へこんだドラえもんの体とか。終盤で悪者たちに襲われて逃げ回ってゲッソリしたドラえもんに対してしずかちゃんが放つ「2,3ミリ痩せた気がする」とか。思わずクスッとしちゃいました。
と、このようにたいへん印象的なシーンが随所に散りばめられていて、悪い部分やおかしな部分は全然なかったです!!・・・って素直に言いたかったんですけれど。凄い良い!って思うシーンがあることに反発するように「全然ダメじゃん!」って思う部分も、わんさかあったんですよ!残念なことに!!
第一に全体的にドラえもん秘密道具の扱いかたが雑すぎます。まず「桃太郎印のきびだんご」、どんな動物でも言うことを聞くようになる道具なんですけれど、あれ投げた人じゃないと効果ないんじゃないのかな?明らかにドラミちゃんが投げたのに、ドラえもんにも懐いてるんですよね。ドラミちゃんといえば、声が千秋さんになってから、無理やりはめ込み過ぎなんですよドラミちゃんを。今回もドラミちゃんわざわざ登場させなければ、ドラえもんが投げることできたわけですしね。
「わすれんぼう」ものび助が記憶がなくなってダッケっていう名前になるきっかけにはなるんですが、最後の最後、ダッケとのお別れのシーンで、この世界の記憶が残ってるのは困るから、ドラえもんが別れ際にコツンって叩いて、記憶を失う前の状態に戻す展開になって、流れ的にはいいんですけれど、のび太の目の前でそれをやって「あれ?君は誰?」って言わせるって、ちょっと酷じゃないかな?わずか数日とはいえ、貴重な体験をした同士なのに、それが目の前で一瞬で自分のことも忘れてしまうって、小学生には結構きついだろ。たしかに、そこでのび助って名乗るから、のび太が父親だということに気づくっていう流れになるんですけれど、もう少し違うやり方あったんじゃないでしょうか?
あと、「ほんやくこんにゃく」という食べた相手が、自分のしゃべっている言葉と同じようにしゃべることができるという道具がありまして。僕この道具に関しては、出てきたころからの疑問なんですけれど、急にコンニャク出されて食えって言われて食うやついるか!?って思うんですよ。この疑問に関しては「さまぁ〜ず×さまぁ〜ず」で大竹一樹さんもおっしゃっていたんですけれど、「じゃあ断られたら終わりだ。」って。そしてら三村さんが「いや、犬とかにやるやつだから・・・外人とかじゃない」ってフォローするんですけれど、実際に昔のドラえもんで外国人に食わせるシーンがありますからね!確かに犬とかだったら与えられたものは食べちゃうかもしれないけれどさ、今回に関してはどこの民族だかわからない言ってしまえばバナナとかドラゴンフルーツとか自然のものを食べて生きている人間ですからね。さらに、食べるシーンを今回ばっさりカットしちゃってるんですよ。いつのまにか普通に話していると。しかもですよ。ダッケはすでにそこの民族たちと出会っていて、なんとか自分の力で言語理解してコミュニケーションとっていたのに、急にまわりのやつらが、普通に会話しはじめたらビックリするだろ!大体、ドラえもんという人間でもなんでもない未知なるものがそこにいるわけだし。あそこでもう1回「青いたぬき」発言があっても良かったと思います。
そして、スネオたちが囚われの身になったところを助けに行こうとして、のび太ドラえもんに道具を出せと頼るところに、しずかちゃんが「なんでもかんでもドラえもんに頼るのび太さんなんて嫌い!」みたいなことを言うから、道具なしで行くのかな?と思いきや、結局お前ら道具頼ってるじゃねぇか!!一緒についていった民族のひとが「いやぁ〜、ドラえもんの道具は凄いですぅ!」とか言うんですけれど、それ言っちゃさっきのシーンがまったく意味ないでしょうが!!あのセリフをどうしても言わせたいのなら、今まで道具に頼らずに生活していた普通の人間であるダッケ(のび助)が別れ際にのび太に一言告げるとかでよかったでしょ。そしたら冒頭でのび助が言ったセリフと重なるわけですからね。普段から道具に頼っているしずかちゃんとかジャイアンに言わせても説得力ないですよ。さらに、ドラえもんの道具もないってなって、民族の人たちに道具がないかを聞くんですけれど、戦争を経験ないから、そんな道具はないって言うんですけれど、ちょっとそこは説明過多かな?あそこはシンプルに「そんな道具は作ったことも使ったこともありません」でよかったかなぁ〜。そしたら子どもたちになんで戦う道具がないんだろうと自分たちで考えさせることもできたわけですし。
そして、今回鈴木福くんとか、小栗旬さんがゲスト声優で出ていますが、真のスペシャルゲストはゴンスケなんですよ。ゴンスケってさまざまな藤子不二夫作品にでているファンにはおなじみのキャラクターでね。あの田舎訛りのとぼけたしゃべり方とかで凄い親近感沸くし、言ってしまえば、スターウォーズにおけるR2D2みたいなやつなんですよ。だから、そのゴンスケがついに映画ドラえもんの世界に出てくると。予告の段階で僕は凄いわくわくしていたんですけれど、全然活躍してなかった!!まぁ、彼のせいでのび助は連れて来られちゃうわけですし、なんの活躍もしないのがゴンスケなのかもしれませんがね。だったら予告であんなにバンバン出す必要なかったかな?完全に期待はずれでしたね。
とまぁ、長々と書きましたけれど、こんだけ熱量がある文章を書くことが出来たのは久しぶりでした。『逆転裁判』の感想があまりに貧相なものにならないか少し不安です。それくらい僕にとっては素晴らしい作品でした!!

映画「はやぶさ 遥かなる帰還」評


【作品紹介】
2010年6月世界初の地球重力圏外のサンプルリターンに成功した日本の小惑星探査機「はやぶさ」と、そのプロジェクトに参加した人々を中心に描く。原作はノンフィクション作家の山根一眞の『小惑星探査機はやぶさの大冒険』。監督は『星守る犬』の瀧本智行。脚本は『太平洋の奇跡』や『沈まぬ太陽』を手掛けた西岡琢也渡辺謙が主演の山口駿一郎を演じながらプロジェクト・マネージャーを担当。江口洋介吉岡秀隆夏川結衣山崎努藤竜也らが脇を固める。
【予告動画】

三部作と称されるほど、同じ題材で監督・キャストの違う映画が公開される「はやぶさ」シリーズ。昨年公開された堤幸彦監督・竹内結子主演の「はやぶさ」(以下:堤版)と来年3月に公開される藤原竜也主演の「おかえり、はやぶさ」(以下:おかえり)、そして本作の渡辺謙主演の「はやぶさ 遥かなる帰還」(以下:本作)。この3本をキャスティングや予告映像を観た段階で、最も期待していたのが本作でした。といっても、本作の予告が流れはじめた段階では堤版は公開済みで、僕の昨年のランキング87位(ワースト5位)に位置するほど愕然となった作品なので、そのせいもあるかもしれませんが、やはり渡辺謙が出るというだけで、凄い引き締まる画になるというか、予告だけ見させられて一番見たいはやぶさは?と言われたら、これを選ぶくらいの雰囲気だったということと、同時期におかえりの予告もやっていたんですが、最初に流れた予告はともかく、新たに公開された予告の映像に「MISSION:○○を○○○せよ!」とかいう字幕が出た時点で期待値が下がってしまいました。なので、はやぶさ3部作のなかでは一番面白いかもしれないぞというスタンスで観に行かせていただきました。
その予想は大よそ当たっていました。堤版に比べると遥かに良い作品だったと思います。おかえりがまだ公開されていないので早合点するのはよくないと思いますが、確実にいえるのは堤版と本作を3部作として同じ土台に乗せては失礼だと思える作品でした。
まず、登場人物がごく自然な人たちであったこと。堤版は主演の竹内結子さんをはじめ、はやぶさに関わる人物や応援している一般人のほとんどが理系ヲタクって感じの人たちで、堤幸彦監督の「宇宙好きな人たちってこういう人たちなんでしょ?」みたいな悪意しか感じられないキャラクター演出に辟易していたんですが、今回はどこにでもいそうな人たちで構成されていて、それだけで堤版に比べれば50点増しです。役回りもはっきり分かるように示されていて、どの人がどれに詳しいのか、なぜこのプロジェクトのメンバーなのかというのも、分かりやすかったと思います。堤版の主人公は何の役にも立ってない、ただ自分の論文に没頭していただけでしたからね。そして、両作品とも2時間超えした作品ですが、堤版で感じた退屈な感じが本作ではほぼありませんでした。2時間を本作を観るために使ってよかったと思いました。
本作と堤版との大きな違いは、堤版では打ち上げまでの制作過程も含まれていましたが、本作は打ち上げから始まります。その過程で新聞記者である夏川結衣さん演じる井上の取材を通して、はやぶさのしくみを映画を観ている我々に教えてくれる、くわえて井上は異動仕立てで、仕事に対する意欲はあるけれど、はやぶさに関する知識や情報は調べなければわからない、映画を観ている我々と同じ立場の人を1人おくことで、物語にすごい入りやすかったと思います。
さらに両作品そしておかえりでもの描かれるであろう、劇中で起こる共通の問題が3つあって、「サンプルリターン」「はやぶさ失踪」「イオンエンジントラブル」なんですが、堤版では打ち上げの前を2時間の作品に詰め込んでしまったので、それらの問題がおこってから解決までの時間がかからないので、あっという間に感じたんですけれど、本作では3つの問題に多くの時間をかけて、さらに問題中に小さな話題を挟んでいくことで時間的にも長く感じさせる手法がとられていたと思います。
時間軸といえば、日付を大きく、ゆっくりと1文字1文字ジワジワ出すことで、時間の経過を知らせてくれる演出も悪くなかったと思います。もちろん文字だけじゃなくて、季節の変わり目も極端では夏は暑く、冬は雪を降らせる演出は季節感と月日の経過を感じさせるものでしたし、松本さんという女性が主要登場人物の一人としているのですが、彼女が物語中で成長していくことで、文字情報だけでなくヴィジュアル的にも時間の経過を感じることが出来ました。松本さんだけでなく、登場人物一人ひとりの描き方も良かったです。特に江口洋介さん演じる藤中と吉岡秀隆さん演じる森内のやりとりは、専門的な会話だけでなくて、互いの家のことまで打ち明ける者同士であることで、この2名に対して親近感が湧きました。
宇宙でのはやぶさの様子を描いているのは3作ともおそらく共通することだと思うのですが、本作でははやぶさの内部にぐ〜っと近づいて、中でどんな異常が起きているのか、どういう構造なのかというのをわりとわかりやすく説明していたとも思えます。堤版はただ宇宙空間さまよっているだけの画がほとんどでしたからね。しかも、そこに擬人化したアフレコまで入れちゃって、観てるこっちが恥ずかしくなっちゃいましたからね。
というわけでこれらのことから、おかえりがどういう作品になるかわかりませんが、現時点でははやぶさ3部作のなかでは一番良い作品となっています。
しかし、これは「はやぶさ」3部作のなかでの話で今年公開された映画のなかで、と問われると「う〜ん・・・」と思ってしまいました。褒めるところばかりではないのです。まず、オーストラリアの野生動物が暮らす地帯にはやぶさがカプセルを落とすから、それを探しにいく役割として藤中やカプセルの開発者である鎌田(小澤征悦さん)が指名されて向かいます。しかし、そこに井上(夏川さん)もなぜかいて、燃え尽きるはやぶさを観て感動して泣いて、それを電話で父親(山崎努さん)報告するのですが、その人物から感動を伝えられても共感しづらいんですよね。むしろ「この人は、どの立場でそこにいるの?」とか考えてしまって。はやぶさ制作スタッフでもない一新聞記者が感動して泣くところを見させられても・・・。思い入れは認めますけれど、結局は部外者なわけですからね、この人物は。
あと打ち上げの冒頭でNASAの人間である、ドクター・クラークという人間が出てきて、はやぶさに対して、ある喩えをするんですが、それを渡辺謙演じる山口先生が、あることが起きたときにその喩えを返すんです。たしかに、相手が言ったことを返すという表現は悪くないのですが、映画を観ている我々からすれば、約1時間前に出たセリフだから印象強く残ってるんですが、ストーリー上では幾年も前にサラッと言ったひとことに過ぎないので、確かに山口先生には心に響いたひとことかもしれないですが、お互いの頭に焼きつくほどの言葉か?という疑問も残りました。また、序盤でも描かれるように、国内にいる父親の危篤なら1分1秒急いで出なければいけない理由はわかりますが、日本からはやぶさの位置がわかったという連絡を受けて、急いでアメリカから帰るようなことあるかなぁとも思いました。十数時間かかるし、便の数も限られてますからね。プレゼンすっぽかしてまで急いで帰るほどのことには見えませんでした。あと、登場人物も個性的で悪くはないのですが、モロ師岡さんのお手玉や、ピエール瀧さんの貧乏ゆすりなど、アイテムをちょいちょい出すのは、個人的には好きになれません。モロ師岡さんやピエール瀧さんはヴィジュアル的にも物凄い目立つ人だと思うので、それで充分なのに、そこにああいうアイテムを加えられると「はい。忘れないでくださいね。この人がさっきのあの人ですよ〜。」と観ている我々がバカにされているような気がして、すごい不愉快というのが正直なきもちです。そういった意味では先ほど褒めましてけれど松本さんも同様です。成長する姿を見せるのはいいですが、松本さんが次の新人に指摘するときの姿ややりとりなのが松本さんが新人だったころとまったく一緒で、「はい、髪型変わってますけれど、この人、さっきのあの人ですよ〜。成長したんですよ〜。」というのを訴えられているようにも見えました。
そして、今回のはやぶさ3部作で共通しているのは、はやぶさに起こっている状態というのを如実に描きすぎだということ。実際のはやぶさの動きなんてのは関係者だって想定できないことですからね。なので、もし次に誰かがはやぶさをテーマにして映画を作るなら、宇宙にいるはやぶさの状態を一切描かないで人間たちのやりとりだけで描いてほしいなと思います。

映画「しあわせのパン」評


【映画紹介】
東京を離れ洞爺湖畔にある月浦でカフェを営む夫婦を中心に、四季のなかで、東京からやってきた女性と東京に行けずにもがく若者、父親と距離を置くようになった少女、複雑な感情を抱いた老夫婦など、さまざまな客とふれあいながら、家族、夫婦、幸せのあり方を描く。監督・脚本は今回が2本目の作品となる三島由紀子。主役の水縞夫婦を演じるのは、原田知世と自身も北海道出身である大泉洋が務める。
【予告動画】

大泉洋原田知世という、僕にとってはハンバーグカレーともいえる、大好きなお二人の俳優さんの共演作、さぞかしステキな映画なのだろうと期待は大きく、その半面、予告映像を見た段階では「めがね」や「かもめ食堂」のような荻上直子さん監督の作品を印象させる感じで、嫌いじゃないけれど退屈しそうという不安も持ちつつ観に行きました。
全体の印象としては、広大な風景もあってか、伸びやかで暖かくて、それぞれの心の奥底にあった悲しみが、掘り起こされて、癒されていく。それを見つめる夫婦も、見えないけれど進歩していくという。おはなしで、原田知世さんの、いるだけでホッとするような存在感や、知世さんに合わせるように寄り添う大泉洋さん演じる水縞君。それはもう癒し度は抜群でしたよ。あぁ〜、こういう夫婦になりたい!って思える内容で。たしかに平坦で劇中で打たれる波はわりとどこにでもありそうな緩やかなものなので、スリルを求めるような人たちには物足りない映画ではありますが、なんとなく観ていて顔がほころんでしまうような作品です。大橋のぞみさんが、ナレーションをしているのですが、彼女の存在がラストに大きな意味をもっていて、その展開が想像していたのとは違い、ここはやられた!って感じでしたね。そして、そのラストでふたりに起こる出来事に、大喜びして野原を駆け回る水縞くんと、それを見つめるリオ、そこに流れる矢野顕子さんと忌野清志郎さんの「ひとつだけ」。もうね、改めてこの曲の名曲っぷりを感じましたし、このラストシーンの幸せの絶頂というのも重なって、かなり感動してしまいました。
もちろんタイトルにもあるように、パンがを中心に出てくる料理などが本当においしそうで、特にあがた森魚さん演じる阿部さんがむしゃぶりついてたコロッケとかは本当においしそうでしたね。そして、ひとつの食べ物を2人で分け合って食べることで互いに対する愛情を確かめあうのなんて、いいじゃないですか。おいしいものを分け合って食べる楽しさというものが伝わってきましたね。
 このようにラストが凄い良かったし、全体的にも好きな映画なので、あまり悪いこと言いたくないんですが、やっぱり「これはなしだなぁ!」と思ってしまった部分も、いくつかあるので話させてください。
 まず、これは現実的に考えちゃうとやっぱり気になることなんですけれど、この店やっていけてるの?って感じがするんですよね。たとえば、食堂かたつむりに関しては1日1組しかお客さんを入れませんみたいな妙な設定があって、それじゃあいくら自分のやりかたとはいえ生計立てられないでしょみたいな気持ちになるんですよね。それに比べるとこの作品は、わりとしっかりしています。たとえば、阿部さんとか郵便屋さんのような常連客がいて、小学校にパンを届けてるとか、多少“生活”を考えたつくりになっているんですが、それにしても、野菜を買ったりとか、パンの材料買ったりとかするには、ちょっと暮らしていくには不安な要素があるんですよね。常連さん以外のお客さんが何人かいたりすればいいのに、そういった様子もない。いいことがあったら小銭を貯金するみたいな夫婦のやりとりがあるんですけれど、肝心のお客さんからお金をもらっているような描写はないんですよね。メニューや並んだパンにも値段とか書いてないし、秋のシーンで父と娘を招待してるけれど、あれは無償でやってるの?とか考えてしまいました。そもそも、なんで水縞君があの広大な土地や家を所有しているのかも気になりますしね。
 そして、この作品の主軸として「月とマーニ」という絵本が存在していて、小さいころからこの絵本を読んでいたのに、大人になって都会育ちのりえはその“たいへん”がイヤになる、そして絵本のなかの月と同様に、自分にとってのマーニのような存在の相手を探しているという話なんですが、まず冒頭で語られる“たいへん”というのが具体的じゃないから全然共感できないんですよね。どんな仕事をやっていて、どんな風にたいへんなのかをきちんと描いてほしかったです。そのあと、夏のシーンで東京から女の子がやってくるんですけれど、その子も「都会はたいへん」みたいなこと言うんですけれど、まぁ彼女はデパートの店員という設定があるから、なんとなく大変な感じは想像つくんですけれどね。あれだと、なんか大人の社会の現実から逃避したい人にしか見えない気がします。
 水縞君も奥さんには秘密にしているどうしても欲しいものがひとつだけあるらしいんですよ。おそらく、これは主題歌のひとつだけに掛けてると思うのですが、で一連の出来事が終わって、最後に二人きりになったときに、ある告白をりえさんがするんですが、そのシーンはポカーンって感じでしたね。「えぇっ!?あんた今まで一緒にいて気がつかなかったの!?ていうか、なんで夫婦になったの!?」そして水縞くんに対しても「お前、欲しかったの、それ!?もう持ってるようなもんじゃん!」って感じがしちゃったんですよね。まぁ、月裏という環境に惹かれて、水縞くんについていって、とりあえず夫婦になったけれど、まだ真の夫婦になれずにいたという感じだったんですかね。だからリオさんはダンナのことを水縞くんと呼ぶのかな?っていう演出だと思えば納得してしまうのですが。
絵本といえば、登場人物たちが、絵本や漫画の人物たちみたいなキャラ作りなのも気になりました。もしかしたら監督は、わざとそういうキャラクターにしているのかもしれないのですが、個人的には物凄い違和感がありました。たとえば、阿部さんという常連客も、「やあ」って挨拶したりとか、バスに向かって「お〜い、待ってくれ〜」とかね。郵便局員も「いやぁ〜、奥さん本当にキレイですねぇ〜」というのをしつこいくらい言うんですよ。夏のシーンに出てくる時生くんという人物もやたらと、「〜っすね」というセリフがやたら多くて、イラッとしてしまいました。あと、野菜売りの広川さんという夫婦ね、ロールプレイングゲームの武器屋さんのようにね、野菜を手に持って立ちすくんでるんですよ、さすがにこれには失笑でしたね。で、広川さん夫婦には子だくさんという設定があって、中盤で双子が生まれますが、つけた名前がスケとカクという水戸黄門からとったのでしょうけれど、テレビ文化を取り入れるのは、映画の世界観には合っていない気がしましたね。そりゃあ、テレビぐらいあるでしょうけれどね。ほかにも、余貴美子さん演じる陽子さんという、謎のガラス職人のオバさんがいるんですが、謎のおばさん演じさせたら余さんの上に立つ人いないと思いますが、この人には地獄耳というキャラクターがあって、遠くで話している人たちも何がほしいかすぐわかる人なんですよ。その要素が2回しか生かされないのは勿体なかったですかね。あの冬のシーンで、お米がないって水縞くんが猛吹雪のなか車を走らせるんだけれど、そのときに用意して待ってたら面白かったのになぁ〜。わりと普通にもらって戻ってきちゃったのは残念なところですかね。冬といえば、その泊まりにきた老夫婦の奥さんがパンが苦手だから米料理ってことになったんですけれど、ひょんなことから出てきたパンを急にむしゃぶりつき始めるんですけれど、急にがむしゃらに食べ始めるから画的には凄いこわいんですよね。大体、パンいらねぇって言ってるのに、なんで焼きたてのパンがそこに出てくるんだ?という疑問もありますしね。
あと一番疑問に思ったのが秋のシーンで、未久ちゃんという女の子とその父親を食事に招待するのですが、父親がカフェ・マーニに入ったときにいる娘に「未久!」って驚くんですけれど、お前娘のこと放っておいて一人で飯食べに来たのか!って思ってしまいました。
文句いろいろ言いましたし、賛否分かれるだろうなって感じですね。でも、なんかラストシーン一発で凄い良い映画だったなと思える作品でした。

映画「劇場版 テンペスト」評


【映画紹介】
池上永一の同名小説であり、舞台にもなった作品「テンペスト」をNHKがドラマ化したものを再構成し3Dで映画化。19世紀の琉球王国を舞台に家の再興のために、女でありながら名前を改め、男性として王宮に仕えた真鶴を中心に、権力争い、日本や米国との外交など激動の琉球王国の歴史を描く。監督は吉村芳之、脚本は「風が強く吹いている」や「星になった少年」の大森寿美男。主演は舞台・テレビ同様に仲間由紀恵塚本高史谷原章介GACKT高岡早紀らが脇を固める。
【予告動画】

もうね。「私はすーごく、怒ってるんだよぉ〜!」(ももクロ)という気分です。つまらない映画はつまらない映画でも、この映画は猛毒につまらないぞ、ハァ〜〜ッッッ!!(劇中のGACKTさんが演じた徐丁垓のセリフ)って感じです。始まりから終りまで苦笑いしっぱなし。すべてが間違っている。逆に人に観せたい!もちろん、オススメしませんよ。観たい人だけ観に行ってくださいね。もし、この感想読んだあとに観に行っても、自己責任ですからね。
 まず、沖縄版の大河ドラマっていう感じのストーリーじゃないですか。主人公の幼少期から成長するまでを描いて、なおかつ現在は沖縄県となっている琉球王国の長い歴史を描いてるのでしょう。それなのに、仲間由紀恵さん演じる真鶴が本当は女性なんだけれど、宦官・寧温となって宮の役人になっていろいろあって追い出されて、そのあと真鶴に戻って側室になるまでが、物凄いあっというまに見えるんですよ。画面の切り替わりが雑だし、まず登場人物の変わり映えのなさ、そしてドラマとして何時間もかけて作ったお話をザックリザックリ切って、大事なところ(のように見えて、そうでもないところ)を2時間に無理やりくっつけてみせるという「セカンドバージン」のときにもやっていた間違いをまたやっているわけですね。映画だけ観てしまうと、追い出されたやつが、あっさり戻ってきてるように見えるから、え?琉球王国そんなに軽いの?そりゃあ崩壊するだろ!という印象を持ってしまうんですよね。もちろん、まったく変わっていないわけではなくて、寧温が去った後、黒船が襲来する展開になり、そのころには尚泰王という人物が子役から染谷将太さんになっていて、年月の経過したってことは分かります。でもね、これまで同様に時代の変わった感じが全然ないから、急に大人になっちゃったように見えるんですよね。
 物語的に大事なところも抜いています。たとえば尚泰王の時代になってから、GACKTさん演じる徐丁垓が登場して、側近という立場になって権力をふるうという展開になりますが、なんで徐丁垓が急に宮のなかで中心人物にまでのし上がったのかを出さないと、急にひょっこり出てきて、なんで側近になれるんだコイツ?っていう風に見えてしまいますよね。彼は琉球王国の弱みを握って、権力者たちを脅して、権威を得るという展開がドラマのなかではあるわけですから、そこを削っちゃダメだろ!さらにいえば、ペリーが来航して薩摩藩が奇襲をかけようとしたところに、寧温があらわれて、まあ穏便に琉球と米国の関係はいきましたと、でそのあと寧温が真鶴に変身する描写があるんですけれど、なぜ真鶴に戻らなくてはいけないのかも、きちんと描いてない。ドラマだと、もう一度役人として戻って琉球を陣取る予定だった寧温にとって、女として宮に戻ってくるのは不服なことだったはずなんですよ。でもあれだと、寧温ではもう無理だから真鶴として潜り込んだように見えるんですよね。
 もうひとつ、観ていて「えぇぇっ!?」って思ってしまったことがあって、寧温と真鶴は同一人物で、真鶴が尚泰王の子どもを産んで、それを祝っているときに実の兄である踊り子の嗣勇から公にこいつは寧温だぞってバラされて、周りの人たちが「えぇぇっ!」って驚くんですよ。いや、どう見ても同一人物だろ!!ずっと一緒にいた朝薫(塚本高史)まで「そんな・・・」ってこんなバカ共に琉球王国は守れてたんかい〜っ!それに、兄の嗣勇もなんで公にしたのかというと、裏切られたからとか言うんだけど、お前勝手なこと言ってんじゃねぇよ!てめぇが出て行ったから妹が代わりに勉学に励んだんだろうが!そのおかげでお前は自由に踊り子として生活できてるんだろうが!それを裏切り!?はぁっ!?まったくもって意味がわからない!
 まったくもって意味がわからないといえば、全体通して出てくる、高岡早紀さん演じる聞得大君ね。まず、兄である嗣勇を拷問して、寧温の正体を暴こうとしたところに、寧温がやってきて、自分は女だと告白するんですよね。そしたらその大君が、その場で服を脱いで証明してみせろ!って言うんですが。え?なんで?普通こういうときってさ「私は宦官です」って言い張るから、じゃあその場で脱いで証明してみせろだったらわかるけれど、寧温が、もう女ですって告白してるんだから、証明もクソもねえじゃん!殺人鬼が自首してるのに、その証拠は?って言ってるようなもんでしょ。で、寧温たちに裏切られて大君は追い出されて、町で遊郭になるんですが、その最中に寧温と徐丁垓が闘うんですよ。また、このアクションも溜め息つくような安っぽさなんですよね。で、終盤に崖から丁垓を道連れにして飛び降りようとした瞬間に、大君が映って「死ぬ気か!?真鶴!?」って言うんですよ。まず、あそこで大君がなんでテレパシーみたいなので二人の戦いを観ることができているのかも疑問なんですけれど、お前どっちかっていうと真鶴の敵だったんじゃね?なのになぜ「死ぬ気か!?」とか言うわけ?まったくもって意味がわかりません。
 そして最後にね。真鶴がずっと持っていた勾玉を預かったあと、龍になってどこかに行くんですが、結局この人はどういう立場の人だったの?偽者だ!って言われて、最後は龍になってしまうわけでしょ。この大君という人の物語におけるポジションが全然わからないまま終わってしまうというなんとも腑に落ちない人物でした。
 まあ、なんやかんやでラストシーン、崩壊した琉球王国の跡地に真鶴が大きくなった子どもを連れて戻ってきます。人っ子一人いないことも疑問なんですが、そして子どもを所定の場所に座らしたら、寧温の姿をして戻ってきて、「あなた様は琉球王国を」とかって今度は寧温の立場になって息子に話し出すんですよ。息子には大きくなるまでのあいだに語り継がれたのかもしれないですけど、急に目の前で自分の母親が着替えて別の人格を演じ始めたら、息子キョトンだろ。ここはさすがに鼻で笑っちゃいました。そして、一番最後に薩摩藩の相澤(谷原章介さん)があらわれて見つめあう二人の前にテロップがドンと出て「琉球王国沖縄県となった。」どうやって!!?そこが一番大事ジャン!あれだとまるで二人が同盟を結んで沖縄県誕生みたいな感じだけど、この二人ってそんなに大きな立場の人間じゃないじゃん!特に真鶴はほぼ琉球王国から追い出されたようなもんじゃん!なんでこの二人が再会して沖縄誕生なんだよ!わけわかんねぇよ!
 本当に端から端までツッコミまくりの映画でした。もうワースト確定じゃないかなぐらいのレベルです。だってつまらないというレベルでは昨年の僕のワースト1位だった「プリンセストヨトミ」以上でしたもん。染谷将太さんも出てるし、でんでんさんや二階堂ふみさんという「ヒミズ」のメンバーが出てるのにね。演出やストーリーでここまで役者の見え方が違うか!って感じでしたね。しかも、ドラマ版では二階堂ふみさんそれなりに活躍するはずなんですけれどね。映画では「火事じゃあ」って叫んで終りでしたよ。やれやれ。確実にNHKにとっても、仲間由紀恵にとっても、そしてGACKTにとっても黒歴史になる作品だと思います!