映画「世界のどこにでもある、場所」評

最初にいっておきます。今年、僕が観た映画のなかでワーストです。本当に「退屈」な映画でした。退屈というかウンザリするというか、倦怠感でいっぱいになりました。まず、この作品の出演者はほぼ、三宅裕司さん主宰の劇団スーパーエキセントリックシアター(以下・SET)の役者さん達で構成されています。つまり、映画界や舞台に足を運ばない人達から観れば知名度は多くはない舞台専門の役者さん達です。
まず、決定的に駄目というか私が嫌気がさしてしまったところは演技です。別に下手なわけではないんです。勿論、人気劇団に所属する役者陣なんで演技力を言っているわけではないんです、敢えて言うなら“映画向けの演技”ではないんですよね。舞台で活躍する人達って、やはり声を張っているし、一言一言をハッキリ言うんです。だけれど、それはあくまでも舞台上の“お芝居”としての演技なんです。映画やドラマのように“リアル”さがないんです。なんで、これ上手く作用しなかったのかというと、出演者のほとんどがSETの役者という点あると思います。出演者同士が普段から一緒に同じ舞台に立っている仲間同士であることから、お互いの演技のやりかたとかを理解している、つまり“身内感”がそこにあるんです。だから、いつものメンバー同士で、いつもの舞台向けの演技をしてしまうから、それを映画向けのベクトルに傾ける人がいない。勿論、SETに所属していない人も幾名いるのですが、別に映画上主役というポジションでもない、特別出演のようなポジションなので、言い方は悪いですけれど、舞台で言う座長みたいな責任ある立場ではないので、この人達も自由にやるし、わが道を進んでいるように感じました。
例えば、同じ舞台も映画も経験して、興行的に成功している三谷幸喜さんの場合、舞台と映画を見極めて、映画には映画向けのキャスティングをしているんです。しかも、先述した“身内感”による自己満足を避けるために、これまで彼が監督した映画には今まで三谷作品に関わったことがない人を主要キャストに起用しています。例えば、『みんなのいえ』ではココリコの田中さんや八木亜季子さん、『マジックアワー』では妻夫木さんや綾瀬はるかさん。そういった俳優さん達がいかに三谷カラーに染まるかが三谷作品の魅力なんです。面白かったかどうかは別ですけれど・・・。
次に、環境設定。今回主役の男を除いた登場人物は、神経科の患者でデイケアを受けているという設定なんですけれど。デイケアの場所が動物園と遊園地が混合した言うなれば娯楽施設なんです。「あの・・・ここでデイケアできるの?」。それとその主役の男とデイケアの医者と患者以外に関わる人物意外はまったく出てこないんですよ。『嘘つきみーくんの・・・』のときにも言いましたけれど。映画とかドラマにする場合ってある程度のリアリティっていうのがいるんですよ。だから遊園地を管理している人間や動物園の動物たちの世話をしている人たちが絶対にいないとおかしいんですよ!動物たちの前で鼓笛隊の太鼓ダンダン鳴らす人はいるし!象の檻に入ってしまう人はいるし!いくら神経が病んだ患者とはいえ、やりたい放題すぎるんです登場人物たちが!心のケアに来ているはずの患者たちが結局、自分の意思通りに好き放題暴走して、好き放題に動いて満足してるだけなんですよ!やはり、そのへんもあれなんですかね?「まぁ、フィクションなんだから、そういうところはいいじゃない?」みたいな感じなんですかねぇ(怒)。
そして、何よりこの映画の一つの売りなのかもしれないんですけれど、「にほんのうた」プロジェクトの全面協力らしいんですけれど、うたの使われ方が乱雑、というより酷い。患者の一人にうつ病のシンガーの女性がいるんですが、「私の歌聴いて、結構うまいのよ」って言って唄を歌うんですが、畠山美由起 with ASA-CHANG & ブルーハッツの「浜辺の歌」が流れ出して、その歌声に合わせて女優さんは口パクで歌ってるように見せるんですけれど、全然今までの声と合ってなさすぎるんです!あまりに違いすぎて鼻で笑っちゃいましたよ!そこだけじゃなくて主役の男が太鼓叩いて「黄金虫」という動揺を歌うんですけれど、歌声が遠藤賢司さん、これまた今までのその役者さんの声と全然あってない!あまりに酷過ぎて、正直言います。歌がかわいそうです!!歌に謝れ!!
他にも、出会って数時間で下の名前を呼び捨てで呼んだりとか、結局それぞれの患者たちの治療法も何もなく終わってしまう。本当に舞台の作品をそのまま映画に運んできてしまったのではないかと思える作品でした。僕は舞台も好きな人間なので、こういう舞台にとっても映画にとってもよくない作品が出てきてしまうのは本当に残念です。

下の下」です。本当に底に近い「下の下」です。