映画「嘘つきみーくんと壊れたまーちゃん」評

映画やドラマを作るうえで、一番大事なのは「フィクション」という現実にほとんどの人間が経験していない世界や未曾有の領域をテーマにはするけれど、それを鑑賞者や視聴者に対して、いかにも現実の世界でありそうなことに見せて、その世界観に引っ張り込むことだと僕は思います。逆にあまりに現実離れしているけれど、それが許されるのはSFのような空想科学作品とか時代劇のような歴史絵巻といった、今の時代からはありえない作品です。だから、映画やドラマとはいえ、フィクションだからといってやりたい放題な作品というのは好きじゃありません。例にあげるとすると、最近傾向が多い「あり得ない金持ちばかりがいる学園ドラマ」です。高校生が数億円の金を動かす力を持っていたり、東京都の4分の1が学校の敷地であるとか、「あり得ない金持ち」という設定を利用してなんでもアリなやりたい放題、結局世の中、富と金ですよというテーマならそれはそれでいいんですけれど(苦笑)。
で、今回の『嘘つきみーくん・・・』なんですけれど、本当に「フィクションなんだからまぁ、いいんじゃない?」っていう映画製作者サイドの考えることが目に見えてくる作品でした。例えば、まーちゃん(演:大政絢、可愛かったですね)の生活環境。まーちゃんという女の子は、昔誘拐されて、そのときに両親も失っているんですけれど、絶対私立だろ!っていうくらい凄いデザインや学習環境の良い高校に通っていて、一人で住むにはもったいないくらい何LDKか分からないマンションの一室で暮らしてるんですよ、しかもオシャレな小物とかウォータークーラーまで付いてる。「あの、そういった環境で生活する資金とかはどうしていらっしゃるんですか?」と思いました。私立は奨学金とかでなんとかなると思いますが、あの部屋は・・・。例えば、大政絢さんというスレンダーな体系の女性を起用してるわけですから、「モデルとしても活動していて、そのお金で生活している」とか、原作である小説にはないような設定をひとつ加えるだけで良かったと思うんですよ。原作ファンは「ちょっと・・・」って思うかもしれないですけれど、漫画や小説では許されていたことが実写化したときに問題点として浮いてきてしまう部分があるということを考えるべきだと思います。多分、そのへんが「まぁ、フィクションなんですから」っていう制作者のいい加減さが露呈した部分だと思います。
そういった部分はそこだけじゃなくて、みーくんを名乗る主人公(演:染谷将太)が、まーちゃんの学校に生徒になりすまして侵入してそれを見つけた、まーちゃんが嬉しくて、普段愛想悪くしているクラスメイトたちの前で主人公に抱きつくんですけれど、それでクラスメイトが呆気にとられて終わりなんです!映画観た方は分かると思うんですけれど、この作品の一つの軸に、通り魔による女子高生を中心に狙われた連続殺人があります。考えてみてください、いくら学校内の生徒と知り合いとはいえ、周囲で女子高生がたくさん殺害されている事件があるという状況で、制服に着替えてまで侵入するまったくの部外者がいたら、即通報・即連行されるはずだし、しかも警察のなかには彼を気にかけている刑事(演:田畑智子)だっている。これ、しばらくは警察で取り調べられて、最悪、本当に事件が解決するまでは留置所行きでないとおかしいだろ!!そのあたりも「フィクションですから」なんでしょうねぇ。他にも高いビルから落っこちたのに奇跡的に助かってるとか、最終的に通り魔に刺されて血まみれになって夜通しでそこに寝てたのに、通報もなければこれまた奇跡に無事という、「ご都合主義」もいいとこだよ!・・・糞が。
とりあえず、フィクションに関する憤りはこの辺にしておきます!まだまだ言うことはあるので!まず、予告でも流れていた、多分この映画ちょっとして売りポイントでもある主人公のカメラ目線での「嘘だけど」というセリフ。まず一言、イラッとする。順調に流れていたシーンがあの「嘘だけど」のせいでブツッブツッと切られてしまうんですよ。あそこはせめて、顔やセリフには出さずにナレーションとかにしておけばよかったのでは?あと、この「嘘だけど」はおそらく主人公の内面を映画を観ているひとに向けて出すから、あえてカメラ目線にしたと思うんですけれど、ある部分で主人公がカメラ目線で「嘘だけど」を言おうとすると、精神科医(演:鈴木京香)が割って入ってカメラ目線で「嘘だけど」って言うんですよ!え?なにこれは他の登場人物たちも「嘘だけど」は聴こえてるの!?もう、どこが内面?外面?っていう頭の中で軽くパニックを起こしました。で、この精神科医も、ちょっと一風変わっている人っていう設定にしていのかもしれないんですけれど、白衣のしたにニルヴァーナのTシャツ来て、診察室にはギターが置いてあったりするんですよ。別にロックが日本音楽シーンのすべてとは言いませんけれど、「変わっている人=ロック好き」っていうキャラ設定もねぇ〜、しかも、だったらギターを弾くであるとか、なんかニルヴァーナの歌詞の一節ぐらいセリフに持って来いよ!ただ着てるだけで、ただ置いてあるだけで「変わっている人」って設定の為だけ!
あと、最終的な事件の回収もない!若干ネタ張れですが、通り魔事件の方は解決しました(この真犯人の伏線の張り方も、もう少し工夫してほしかったな・・・)。だけれど肝心のまーちゃんが、幼い姉弟の二人を誘拐したことに関しては、一切なにもない、咎めなしなんですよ!あの〜、誘拐罪ってどんなに誘拐された被害者である今回の場合2人の子供が「犯人は良い人でした」「全然悪くないです」と庇ったところで捕まるのが原則じゃないかな?いや、実際、指名手配されているのかもしれないですけれど、映画観てる側はそういう説明もないから「え?何?お咎めなし!?許されちゃうの!?ヒロインだから!?」みたいな気持ちになりますよ!
そして、極めつけはなんとも意味不明なラストシーン!まーちゃんがいなくなったことで憔悴した主人公がマンションの屋上から飛び降りるんですけれど、途中でフワッ宙に浮いてゆっくり地面に降りて行きます、もうこの時点で非現実的なんです。だけど、その後、歩いていた街中に偶然まーちゃんを見つけて小さくまーちゃんのことを呼ぶ、するとまーちゃんが振り向き信号が赤にも関わらず横断歩道の真ん中に歩み寄って、最後は手をつないで車道の真ん中を二人で歩くというラストなんです。すると、そこで聴こえてくるのが大量の車のクラクション、そして真ん中を歩いて行く二人を見つめる民衆。え?今、これは現実に起こっていることなの?今、そこにある状況が幻想なのか、現実なのかがわからない!幻想ならば、二人の世界を邪魔する現実的な車のクラクションやそれを不思議そうに見つめる民衆もいらないし、現実であるとしたら、飛び降りたときにあんなフワリと着地するわけがない。矛盾ったらありゃしない。
どうやら、原作ファンからも評価の低いようですが、原作を読んでないのであくまでも推測ですが、猟奇的な事件と過去のトラウマといったホラー要素、そこにちょっとカラフルでポップなテイストを加えたのが原作で、今回の映画化では、そのポップの部分を強調した可愛らしい映画を作ってしまったのではないでしょうか?違っていたらすいません。
最後に、こんだけ結構言いたい放題言わせてもらいましたが、唯一良いところがありました。これはこの映画が駄作にならなかった唯一の救いだと思いますが、音楽です。本来、ホラーになるべき作品が可愛らしい作品になってしまったのは残念ですが、映画の作風を十二分に理解して作られた音楽だと思います。コーネリアスとかレイ・ハラカミが好きな人は気に入る音楽だと思います。どれだけ僕がこの音楽を好きになったかというと、サントラを買いました!主題歌の柴咲コウも映画の雰囲気には合っていたのでないでしょうか?
音楽はよかったし、大政絢も可愛かったですよ、「美咲ナンバーワン」でもいい味出してますけどね。褒めるところはあるので、「下の上」といったところでしょうか?あっ、そうそう。今回から評価「○の○」っていう形にします。★だと0から5の6段階になるので、もう少し細かくしたほうがいいかな?と思ったので。というわけで
下の上」です!