映画「ドットハック セカイの向こうに」評


【映画紹介】
ゲーム、漫画、アニメなどさまざまなメディアメックスを展開し世界でも人気を誇る「.hack」シリーズのオリジナル劇場版。中学2年生の少女がゲーム「THE WORLD」の世界に飛び込んでいき、やがて現実世界に迫る危機に救っていく存在になっていく。現実と虚構2つの世界を通じて少女の成長と恋と冒険が描かれるアニメーション。主人公の有城そらの声を桜庭ななみ、そらの友人である岡野智彦と田中翔の声を田中圭松坂桃李が務める。
【予告動画】

この映画は、オンラインゲームの世界と現実の世界が入り混じる話なんですが、僕は「モンスターハンター」などといったオンラインゲームをまったくやらない人間で、テトリスなどのパズルゲームはたま〜にやりますが、ロールプレイングゲームは、まともにやったことがありません。ドラクエブームも他人事だったし、「ゲームじゃなくて狩りって言って」とか言う人を「面倒くせぇ!」と思っちゃうタイプです。だから凄い初歩的な質問もしちゃうんですよ。たとえば「ゲーム中に突然電源が落ちたらどうなるの?」とか「ゲームを遅くはじめた人は同じレベルの人としかプレイできないの?」みたいなね。なのでそういう人間が観た映画の感想だと思ってみてくれれば幸いです。
 まず今回物語が2024年という近くもあり遠くもある未来という設定なんですが、進化したものとしてないものがあるんですよね。たとえば、学校のテストや黒板がタッチパネルになっていたり、自動販売機は携帯端末でデータ送信するだけで買えたりもする。でも現代の生活環境というのは残っていて、乗り物は普通に自転車や車だし、ご飯も料理をちゃんとしなければできない、この便利にはなっているけれど今までと変わらない部分もあるという時代設定の扱い方は非常にうまいと思いました。正直、マコトさんという執事のようなロボットに関してはは少し未来っぽすぎると思いましたけれどね。あと、やっぱり映像は凄かったですよ。今回3D上映しかやってなかったんですけれど、こういう映画こど3Dでやるべきだなと思える映像技術でした。今まで、3Dと2Dが同時上映だったときって2Dを優先させて観ていたんですけれど、こんなに凄い迫力ならこれからも3Dを観てもいいかもと正直おもいました。最近のゲームってやっぱり凄いんですね。なので、映像の迫力や、近すぎず遠すぎない2024年という時代設定を上手く駆使していたところは、たいへんよかったと思います。
 しかし、2024年という設定が悪い意味で「作り手の都合」になってしまっているような気がしました。この映画のダメポイントはとにかくこれにつきます。それは「ゲームの世界と現実の世界の距離感を考えてしまうと凄い不自然である」ということです。
 たとえば、ゲームのなかでキャラクターたちが会話してるんですけれど、そのとき話してる会話を現実でも声に出して会話してしまっているんですね。ということはですよ、電車とか、喫茶店とか塾のやつらって声だしながらゲームやってるわけじゃないですか。いくら社会現象になっているとはいえね、自分の周りで急に「うりゃあ!」とか叫ばれたり独り言ぶつぶつ言われたら恐いでしょ。ゲームをいっさいやってない人からみればおかしな光景なんじゃね?あと、感情に合わせてキャラクターが動きを見せるんですよね飛び跳ねて喜んだり、話したことがゲームに反映されるのはまだいいですよ。でも、さすがに動きまでは感情どおりに動いてはくれないでしょ、コントローラでそんな細かな動きを再現できるとは思いませんし。もしかして、こういった動きも現実世界でプレイヤーが動いてやってるわけ?ちょっと、2024年という設定を調子にのって使いすぎてないでしょうか?
あと、現実の世界とゲームの世界では声が変わる人と変わらない人がいるのもおかしい。実際、変わっているのは田中くんと岡野くんという主人公のそらの同級生の2人だけであとはみんな現実世界と一緒なんですね。おそらく主人公が、声でどっちがどっちか判断しないようになのかもしれませんが、だったら全員ゲームのなかでは声変えればいいじゃん。そらもゲームのなかでは男の子になってるんだからさ。ていうか、そらがゲームのなかで扮するカイトというキャラクターのヴィジュアルが男性だか女性だか微妙なんですよね。はっきりとゲームの世界では男性っぽい出で立ちにしてほしかったです。正直、途中から女の子だと思ってみていました。
 もっとも気になったのはゲームの世界で起こった異常が現実にも起きはじめていて、それを解決できるチカラが宿っているのが、そらが使用しているカイトだけだと、それを知った彼女は友だちのために立ち上がるって展開になるんですけれど、くりかえしますが実際にそのチカラが宿っているのは、そらじゃなくて、彼女がゲームのなかで使っているカイトなわけなんだからさ。いくら操作してるのが彼女だからって、そんな現実の世界にも影響が及ぶかもしれない重大なミッションをゲーム初心者である女の子に託していいの?せめてプレイヤー代わってもらえよ!だってコントローラとサングラスさえあれば操作する人は誰だっていいんだからさ!ゲームうまい人にやってもらったほうが絶対いいって!それに、ネットワークがウィルスに侵食されて、いろんな電子媒体がダメになっている状態なのに、なんでザ・ワールドの中には簡単に入れちゃうの?ゲームのなかがまず汚染されているはずでしょう。それにゲームのなかでウィルスが暴走しはじめて、プレイヤーたちがゲームの世界を逃げ惑うんですけれど、オンラインゲームやらない身からすれば「サインアウトするか無理やり電源落とせば簡単に出られるじゃん!」って思っちゃうんですよね。
 ゲームと現実のギャップに対する指摘はこのへんにしておいて、キャラクター設定にもいくつか言及しておこうと思います。まず、この映画の好き嫌いに関わらず、誰もが気になったであろう。デビッドというネットワークを管理している外国人のエージェント。この人なぜか関西弁で話すんですよね。まぁ、確かに堅苦しい人物にユーモアを与えている効果はあると思うんですけれど、ユーモアが与えられるのが最初だけで、あとはすごいうっとうしいんですね。それになんで関西弁なのかの理由もよくわからないんですよ。たとえばね、日本に向かう飛行機のなかで日本語の勉強をするんだけれど、それが関西弁の話し方だったとかにすれば、うっとうしさは残るけれど、話し出したときの笑いはもう少し増えたと思うんですよね。大体、学校のテストも電子化された時代なんだから、同時通訳する機器ぐらいあるはずでしょう。「カールじいさんと空飛ぶ家」って映画あるじゃないですか。あそこで犬についている首輪のおかげで犬が人間と会話できるという設定があって、悪役のシェパード犬みたいやつの首輪の設定がおかしくて、声が異常に高くなっているという演出があるんですね。それを応用して、自動翻訳機を使って話してるんだけれど、設定が「大阪弁モード」になっていたとかでいいじゃない。2024年要素をここで生かしてくださいよ。
 登場人物の設定で、もうひとつ気になったのは、田中くんと岡野くんの物語上のポジションです。田中くんは冷静沈着、表情も堅くて、一言ひとことにトゲがるという人物。一方の岡野くんは、テンションも高いほう。言ってしまえばチャラいって人物なんですけれど。ゲームの世界では田中くんがゴードンっていう超人ハルクみたいなヤツで、パルドルというイケメンは岡野くんなんだけれど、そらは逆だと思っていて、いろいろ勘違いしてしまうという、もうひとつのストーリーがあるのですが、序盤にそのネタばらしちゃダメだろ。ラストシーンで実は岡野くんでしたのほうが見ている我々も「そうだったのかぁ!」という彼女と同じ共鳴ができたんだからさ。観ていて、「どうせ、最後にネタばらしするんだろ」という気分で観てました。映画に対する思い入れ半減です。
あと田中くんと岡野くんの2人のポジションは逆にするべきだと思うんだけれどな・・・。なんかあのラストだと実は惚れていたのはチャラい岡野くんで、田中くんはただの冷静沈着で心ないゲーマーでしたっていう印象になっちゃうんですよね。だったら、惚れていたのは田中くんで、岡野くんはただのチャラい友だちでしたのほうが良かったんじゃね?恋愛に興味なさそうで無愛想な田中くんが実は彼女に恋心を抱いていたのでしたのほうが、ドラマチックだと思うんですよね。だって岡野くんは主人公に惚れてそうなんだもん見た目で。
映画の印象はこれぐらいにして、最後にこれだけは言わせてください。この映画って、「ドットハック」という会社のアニメーション技術を映画を通してアピールする作品でもあれば、いわゆる最近のオンラインゲームの面白さをプレゼンする目的もあるわけじゃないですか。実際は、あんなウィルス侵食とかないわけですし。だったらさ、主人公がはじめてゲームの世界に入ったときの、初心者だからってバカにされるみたいなシーンはなくしたほうがいいですよ。ああやって一見さんお断りみたいな空気出すから、オンラインゲームやりたくない人間だっているわけですから、僕みたいにね。おそらくオンラインゲームをやっている人からすれば、興奮する映画なんでしょう。でも僕みたいなオンラインゲーム童貞からしてみれば“とってもノリづらい作品”でした。